アレクサンドル・ナリムントヴィチ
Александр Наримунтович
ポドーリエ公 князь Подольский
生:?
没:?
父:トゥーロフ=ピンスク公ナリマンタス (リトアニア大公ゲディミナス)
母:?
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | 分領 | 配偶者 | 生没年 | その親・肩書き | その家系 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | |||||||
? | パトリカス | スタロドゥーブ | アンナ | 1387- | ドミートリイ・ドンスコーイ | リューリコヴィチ |
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではアレクサンドラス・ナリマンタイティス Aleksandras Narimantaitis。
父は1333年にノーヴゴロド市民に招かれ、ラードガ、オレシェク、コポーリエ、カレリアなどを与えられて、対スウェーデン戦の最前線を委ねられた。しかし1338年の時点で、オレシェクにはアレクサンドル・ナリムントヴィチが父の代理として赴任していたらしい。
ポドーリエ公となり、1380年代に死んだ、とする文献があるが、アレクサンドル・コリアトヴィチと混同しているのではないだろうか。