ロシア語概説:相

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ロシア語文法の «相» と、一般的な語学における «相» とはまったく異なる概念である。ロシア語文法の相とは一般的な語学における «態» のことであり、一般的な語学における相とはロシア語文法における «» のことである。単なる日本語訳の違いなのだが、なぜこのようなややこしいことになったのか知らん。

ロシア語その他の言語
能動 vs 受動態 voice
完了 vs 不完了相 aspect

 相は、通常いかなる言語でも能動相(能動態)と受動相(受動態)とに分けられる。これは、動作の主体と客体をどのように表現するかの違いである。単純に言えば、主体を主語とするものを能動相、客体を主語とするものを受動相と呼ぶ。
 厳密に言えば、相とはその際の動詞の形態のことである。ただしここでは面倒なので、統語論的な観点も含めて «受け身表現» 全般を含めて見ていくことにする。

他動詞

 受動相とは「客体を主語とする文における動詞の形態」であるから、当然、受動相を持ち得る動詞は客体を示し得る動詞に限られる。ロシア語では、客体はあらゆる斜格で表し得るが、受動相を持ち得るのは、その中でも「対格で客体を示す動詞」だけである。このような動詞を «他動詞» と呼ぶ。
 日本の学校英語ではやたらうるさい他動詞・自動詞の区別だが、ロシア語ではこの受動相(あとは形動詞ぐらい)でしか話題にならない。ロシア語では以下のように分類する。

 この非他動詞の中には、与格や造格で客体を示す動詞もあれば、まったく客体を示さない動詞(いわゆる自動詞)も含まれる。つまり、ロシア語文法においては動詞が客体を示すかどうかはどうでもいい区別だということになる。重要なのは対格を取るか否かであり、それも受動相に関してのみ、ということである。
 さらに言えば、実は非他動詞も受動相を持ち得る。управля́ть という動詞は、「制御する」という意味で、造格を要求する非他動詞である。しかし語義的に考えてみれば、「制御される」という受け身が言えないというのは言語として問題がある。よって、управля́ться という受動相、управля́емый という受動形動詞現在が存在している。
 その一方で、他動詞であれば必ず受動相があるというわけではない。зна́ть という動詞は、「知っている」という意味で、対格を要求する他動詞である。にもかかわらず、зна́ться という受動相は存在しないし、зна́емый という受動形動詞現在は古語となっていて現実には使われることはない。ではロシア語で「知られている」と言いたい場合にはどうするかと言うと、簡単で、изве́стный や знако́мый といった似た意味を持つ形容詞を使う(他のやり方もある)。単純に言えば、ロシア語では He is known for his punctuality. と He is famous for his punctuality. との区別ができない、ということだ(実際は区別できないでもないが、その話は別途)。
 このように、実は他動詞・非他動詞という区別は、必ずしも受動相を持つか否かと対応していない。日本語や英語でも同じで、受動相になりやすい他動詞となりにくい他動詞とが存在するものである(日本語であれば、他動詞「洗う」は受動相になりにくいが、自動詞「死ぬ」は簡単に受動相になる)。

単純受動相

 単純受動相とは、不完了体動詞の受動相である。動詞の語尾に -ся という接尾辞をつけることでつくられる。строить「建てる」 ⇒ строиться「建てられる」

 しかしここで問題になるのが、不完了体動詞の語尾に -ся をつければそれですべて受動相がつくられるかと言えば、そうではないという点である。
 начать「始める」からつくられた начаться は「始まる」という意味で、「始められる」という受動相にはならない。строиться にも「建てられる」という受動の意味のほかに、「自分の家を建てる」や「整列する」など、受動とは無関係の意味がある。любить は「愛する」だが、любиться は「愛される」という意味ではない。よって「かれはみんなから愛されている」と言いたくとも、* О́н лю́бится все́ми. などとは言えないのである(ふつうは Его́ лю́бят все́. と言う)。
 これには «-ся 動詞» の持つ問題がからんでくるので、当該ページを参照のこと。

 このように、単純受動相をつくり得る不完了体動詞は多くはなく、しかもつくれても受動以外の意味を持っていたりするので、現実にはほとんど使われない。実践的な見地からすると、一応の知識として「そういうものもあるのか」で十分であり、自ら使う意味はないと言ってもいいだろう。

複合受動相

 複合受動相とは、完了体動詞の受動相である。これは、быть + 受動形動詞短語尾でつくられる。ただし受動形動詞現在が使われることはほとんどないので、現実には受動形動詞過去に話は限定される。
 これは英語の受け身の表現とまったく同じ構造である。

 このように、動作客体を表す主格 + コピュラ(be 動詞) + 過去分詞/受動形動詞短語尾 + 動作主体を表す造格、という構造がそっくり同じである。ただし英語の受け身表現とは微妙に異なる点があるので要注意である。

  1. 過去時制 : Две́рь бы́л откры́т. ≠ The door was opened.
  2. 現在時制 : Две́рь откры́т. ≠ The door is opened.
  3. 未来時制 : Две́рь бу́дет откры́т. ≠ The door will be opened.

 現在時制においては быть は省略される。注意しておかねばならないのは、Дверь открыт. は現在時制である、という点である。откры́т が受動形動詞過去だからと言って、用語に惑わされてはいけない。
 確かに現在時制の文においても、過去時制の文と同じく、открыть「開ける」という動作が行われたのは過去である。しかしその結果として「ドアは開けられている(開いている)」というのが、この現在時制の意味である。すなわち、この文は「開いている」という現在の状態を述べている。
 その点、過去時制、未来時制とは微妙に異なる。これらはいずれも、過去や未来における状態「開いていた」、「開いているだろう」を示しているのかもしれないし、あるいは過去や未来における動作「開けられた」、「開けられるだろう」を示しているのかもしれない。しかし現在時制においては、現在における動作「いま現在開けられつつある」というような意味はない。なぜなら、完了体にはそのような過程を示す意義は存在しないからである(参照)。
 この点、併記した英語の文とは微妙に異なる。

動作状態
過去時制 Дверь был открыт.開けられた(開けられた結果)開いていた
現在時制 Дверь открыт.(開けられた結果)開いている
未来時制 Дверь будет открыт.開けられるだろう(開けられた/る結果)開いているだろう

 もっとも、このような区別が当てはまらない動詞もある。個々の動詞の使い方や語義による。一般的には、そもそも открыт 自体が「開けられた」という意味ではあまり使われない。通常は「開いていた」という状態を示す。

 ごくまれに、受動形動詞現在短語尾を用いた複合受動相がある。受動形動詞現在は不完了体動詞からつくられるので、これが、単純受動相と並んで、不完了体の体的意義を持つ受動相となる。上記の「かれはみんなから愛されている」も、これを使って О́н люби́м все́ми. と言うことができる。ただしこれは、「そういう言い方もあり得る」という程度で、一般的ではない。やはり Его́ лю́бят все́. と言うべきである。

日本語の変な受け身

 「雨に降られた」、「親に死なれた」は、日本語としては受け身表現である。受動相とは客体を主語にした表現であり、客体を持たない自動詞に受動相はない。「降る」も「死ぬ」も自動詞であるから本来受動相は存在し得ないはずだが、「雨が降った」り「親が死んだ」りした結果として被害や迷惑を被った(と話者が認識している)場合、このように受動相をつくり得る。
 しかしロシア語では、単純に Шёл до́ждь.「雨が降った」、Роди́тели у́мерли.「親が死んだ」と言うしかない。「その結果として被害や迷惑を被った」みたいなニュアンスは表現しようがないのである。

 これとは逆に、何らかの恩恵を被った場合にも日本語は受け身にしたがる。「かれに本を買ってもらった」は、日本語文法上は受け身とされるようだが、ロシア語では単純に О́н купи́л мне́ кни́гу.「かれがわたしに本を買った」。「〜してもらう」という表現は日本語では日常的だが、ロシア語にはこれに相当する表現は存在しない。
 「親父に夏休みの宿題をやってもらった」は、Оте́ц сде́лал дома́шнее зада́ние.「親父が夏休みの宿題をやった」。ただしここで余計な「わたしに мне」という間接補語を挿入することで、それっぽいニュアンスが表現できないでもない。

 「財布を盗まれた」は、論理的には「財布が盗まれた」でなければならない。「わたしは財布を盗まれた」も誤りである。「盗む」という動作の客体は「わたし」ではなく「財布」だからである。よって「わたしの財布が盗まれた」か「わたしの財布を盗んだ」、あるいは「わたしから財布が盗まれた」か「わたしから財布を盗んだ」とでも言わなければならない。ただし理屈とは無関係に、最も «ロシア語っぽい» のは、この4つの中では最後の「わたしから財布を盗んだ У меня́ укра́ли кошелёк.」である。

 このように、われわれ日本人は、まず理屈としてきっちりと動作の主体・客体の区別をつけないと、ロシア語の受動相や受け身表現をマスターすることができない。

受け身表現

 日本語の受け身と異なり、ロシア語の受動相や受け身は動作の主体・客体の関係に基づく表現である。次のような特徴がある。

 このような観点からロシア語を見てみると、実は受動相以外にも受け身表現が存在することに気づく。少々無理があるものも含めて、以下の4通り。

  1. 受動相
  2. 不定人称文
  3. 語順
  4. イントネーション

 Его́ лю́бят все́. が語順による受け身表現だが、前後のコンテキスト次第では受け身にはならない。ロシア語の語順は文法によって決まるのではなく前後のコンテキストで決まるので、いついかなる場合でも同じ意味になるわけではないのが厄介なところである。ましてイントネーションを文字で書いて説明するのはまどろっこしい。ということで、語順やイントネーションはここでは省略する。これで受け身が表現できるようになったらロシア語は完璧である(もっとも、繰り返すが、いつも語順やイントネーションで受け身が表現できるわけでもない)。
 不定人称文は、「動作の客体を文の主題として強調する」、「動作の主体を軽視ないし省略する」という上掲の受け身3原則のうちふたつに合致する。ここまでの説明でも、すでに不定人称文を受け身表現として紹介してきた。У меня́ укра́ли кошелёк. がそれである。
 不定人称文については別途説明するが、単純に言えば、動作主体が誰(何)かを無視し、動作そのものと動作の客体とに着目する表現である。このため、現実にはあまり使えない不完了体受動相だけではなく、使い勝手のいい完了体受動相の代わりとしても、不定人称文が使われる。У меня́ бы́л укра́ден кошелёк. みたいな完了体受動相を用いた文ではなく У меня́ укра́ли кошелёк. という不定人称文の方が一般的(と言うよりこちらしか使われない)という事実が、それを物語っている。
 しかも、上で述べた「ドアがいま現在開けられつつある」みたいな文も、この不定人称文を使えば何の苦もなくつくることができる Две́рь открыва́ют.。ちなみに、不完了体受動相を用いた * Две́рь открыва́ется. はあり得ない。これだと「ドアがいま現在開きつつある」と区別がつかないし、そもそも открываться に受動の意味はない。
 もちろん、だからと言って受動相が用いられないということはない。不定人称文では表現しきれないニュアンスを、受動相(基本的には完了体受動相)が表現し得る、という場合が多々あるからである。
 ということで、実践的な観点からすると、完了体受動相と不定人称文のふたつは身につけておく必要がある。逆に言えば、このふたつを受け身表現として覚えておけば、それで十分である。

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最終更新日 03 09 2012

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