ロシア語概説:生格

родительный падеж

«生格» とはロシア語の格のひとつ。«属格» と呼ぶ言語もある。
 入門書レベルでは生格の用法として「〜の」が挙げられるが、生格は、かつて印欧祖語に存在した «奪格 исходный падеж» の役割も吸収しているし、またフィンランド語などに見られる «分格 частичный падеж» の役割も果たしていて、現実の用法は非常に複雑である。

 なお以下、便宜上名詞を中心に扱うが、原則として形容詞・数詞・代名詞でも話は同じである。これら4つの品詞はロシア語では «名辞類» として(ほぼ)同じ扱いを受ける。

形態

I 式II 式III 式
男性中性女性
単数-а/-я-ы/-и
複数-ов/-ев/-ей-ø/-ей/-й-ø/-ь/-ей/-й-ей

 複数生格の語尾は、あらゆる格変化の中で最も複雑であると言っても過言ではあるまい。以下の分類には、当然例外もあり得る。

 以上を別の角度から整理し直すと、以下の表のようになる。

母音ц硬子音жчшщ軟子音
男性-ев-ов-ей
中性-ей
女性-ø/-ей-ь/-ей

例外

I 式変化の男性名詞が単数生格で -у / -ю

用法

基本的意味・語結合

 生格には多種多様な用法があり、その整理は容易ではないが、たとえば語結合ごとに次のように整理することもできよう。ただしいずれの用法も、必ずしも語結合には左右されない。下は一応の目安でしかない。
 ちなみに、生格の用法の中で最も一般的なのは「所有・被所有」の標示であり、英語の所有格、日本語の「〜の」に相当する。ゆえに、語結合で言えば、名詞との結合が最も多く見られる生格の用法である。他方で、動詞との結合は近年全体的に廃れつつある。

 繰り返すが、「名詞との結合」とか「動詞との結合」は絶対的なものではない。たとえば «Снегу!» は単独で用いられているが、存在の否定でも日付でもなく、数量生格である。

所有・被所有の関係

 生格の基本的な使い方は、英語で言う «所有格»。すなわち、「AのB」と言う場合のAに相当する。言うまでもないが、Aが所有者であり、Bが所有される物体である。BはAの性質・特徴などを表すこともあるし、抽象名詞や物質名詞が用いられることもある(文字通りの «物体» とは限らない)。

 ただし人称代名詞の生格にはこの用法はない。人称代名詞の所有を示したい時には所有代名詞を使う。*портфе́ль меня́мо́й портфе́ль

 所有とは微妙に違うが、次のような場合も「AのB」のAに相当する。日本語でも違和感なく理解できるはずである。

 次のような例も「AのB」のAに相当するが、この場合はAが所有者ではなく、逆に、Aが性質・特徴を、Bが所有者を表している。この違いは、日本人には感覚的にわかるはずだ。

 このような生格は、上例のような定語(名詞の «修飾語»)だけでなく述語にもなる。

 なお、この場合に限らず、定語となる(名詞を修飾する)生格は、被定語(«被修飾語»)の後に置かれる。ところが、場合によっては被定語に先行することもあり得る。

 この場合、Игоря は сын を修飾しているから、本来は сын の後に置かれなければならない。しかしこの場合は её и Игоря でひとつの語結合を形成しているため、切り離すことができず、её(これは被定語に先行する)にならって сын の前に置かれているのである。
 また、単語によっては慣習的に被定語に先行するものがある。これは個々の単語の用法の問題なので、文法ではなく辞書が扱う話である。

動作の客体

 これも日本語では「AのB」となるが、Bを表す名詞が動詞からつくられたもの、ないし動作を表すものであり、Aがその動作の客体(«目的語»)を表す。
 ロシア語において、動詞から派生した名詞は、通常動詞と同じ格を支配する。すなわち、たとえば与格を支配する動詞からつくられた名詞は与格を支配する(помочь брату ⇒ помощь брату)。造格を支配する動詞からつくられた名詞は造格を支配する(управлять машиной ⇒ управление машиной)。しかし対格を支配する動詞からつくられた名詞のみは、対格支配から生格支配に変わる。

動作の主体

 上とは逆に、Aが動作の主体である場合にも生格を使う。
 ただしこれは、Bが表す動作が非他動詞に相当する場合が主である。他動詞の場合にも使うことができるが、その場合、Aが動作の主体なのか客体なのか、意味から区別するしかない。ゆえに、主体であることを明確にするためには生格ではなく造格を使う。

〜という

 これも日本語の「AのB」となる場合があるが、この場合は A = B、あるいは A < B という関係にある。もっとも、日本語では必ずしも「AのB」とはならない。下記の例のごとくである。

 чувство 「感情」は、愛や憎悪、喜びや悲しみなど様々ある。その内の гордость 「誇り」という感情が чувство гордости である。当然この場合の гордости という生格は、所有でも被所有でも、動作の主体・客体でもない。日本語にしてしまうとわけがわからなくなるが、ロシア語において чувство と гордости というふたつの単語の関係は、чувство = гордость、ないし чувство > гордость である。別の言い方をすると、гордости という生格は чувство という名詞の意味を限定している、あるいは説明している、ということになる。このような場合も、ロシア語では生格を用いる。
 ただし、このような場合に常に生格が用いられるわけではない。詳細は別に譲るが、生格ではなく被定語と同じ格、あるいは主格が用いられることもある。これを «付語» と呼ぶ。

 まれに普通名詞が付語として使われることもあるが、基本的にはこの例のように固有名詞である。ゆえに、普通名詞が用いられる場合は生格になる、と考えておいてよい(付語については別途説明する)。

日本語との関係

 ここまで日本語の「AのB」との関連から生格を見てきたが、生格がすべて「AのB」と訳し得るわけではないし(それはこれ以降に説明する)、また日本語の「AのB」がすべて生格で処理できるわけではない。

 さらに日本語では「党規約」など、名詞と名詞をそのまま結合する例が多々見られる。これらもしばしば、ロシア語では生格を使った言い方になる。「党規約」は「党の規約」であり、устав партии となる。「ロシア語文法」とは「ロシア語の文法」であるから、грамматика русского языка と、これまた生格を使わなければならない。
 ただし日本語における名詞と名詞の結合においては、結合される名詞と名詞の関係を見極めないとならない。「肉体疲労」は「肉体的な疲労」であり、ゆえにロシア語では физическая усталость である。「国境警備隊」は охрана границы でも良さそうなものだが、通常は пограничная охрана である。そもそも「ロシア語」も、「ロシアの言葉」だからといって язык России とは言わない。язык России は「ロシアという国家の言葉」という意味になる。もっとも、単数形で用いられることはなく、通常は複数形 языки России で「ロシア連邦内で用いられている諸言語」という意味になる。

 これら日本語とのズレは、理屈でわかる場合が多いが、言語というのは元来が理屈ではなくフィーリングに基づいているものであるから、あまり理屈を考えても無駄だとも言える。個々の単語の使い方として覚えた方が早く、かつ確実かもしれない。

数量生格

 これまた日本語では「AのB」となる。ただしこの場合、Aが数量を表す名詞であり、Bが物質を表す。ロシア語では日本語とは逆に、Bが生格となり、Aを修飾する。このような生格の使い方を文法的には «数量生格» と呼ぶ。

 «数量» 生格と言っても、複数とは限らない。пиво や хлеб のような物質名詞は単数で用いられる。名詞の用法や意味によって、単複は決定される。

 なお、数量生格の用法は、厳密には次の部分生格と区別をつけられない場合も少なくない。

数詞との結合

 数詞との結合も、この一種である。上例の、数量を表す名詞に代えて数詞を用いると、そのまま数詞と名詞の結合になる。数詞が生格を要求するというのは、つまりは数量生格の用法なのである。

 ただし数詞との結合においては、名詞は必ず生格になるわけではない。数詞が主格の場合のみ生格となるのであり、数詞が斜格になると、名詞もそれに応じた斜格になる。この点、数詞との結合は名詞との結合とは異なる。詳細は数詞のページを参照。

たくさん

 数量生格は、数量を表す名詞とも数詞とも結びつかず、単独で用いられることもある。その場合、一種の感嘆表現となり、膨大な数量を意味する。また «第二生格» が用いられる。

«主語» としての数量生格

 形式上、主語となり得るのは主格だけである。しかし述語(の一部)が数詞の場合、主語は主格ではなく生格になる。これは数量生格の用法に由来する。なお、厳密に言えば、この場合の生格は主語ではない。つまり主語のない文ということになる。

 右の文であれば問題なく理解できるだろうし作文もできるだろうが、左の文ではどうだろうか。
 ちなみにそれぞれの相違点を考えてみると、右の文の場合、通常の「数詞+名詞」という結合になっているため、「これこれの量の○○が」というニュアンスになる。語順的にもそれぞれの名詞が文の結論となる。これに対して左の文では、名詞は文頭に来ている。つまり文の主題としてまず提示されることになっていて、「○○について言うと」とでもいうニュアンスになる。そして文末に置かれているのが数詞であるから、日本語の「○○がこれだけある」という意味合いの文にはより相応しい。

«直接目的語» として数量生格を要求する動詞

 на- という接頭辞は、大量のものを対象とした動作を意味することがある。そのような動詞は、しばしば対格ではなく生格を要求する。ただし対格も可の場合があり、個々の動詞の用法および名詞との結合の「クセ」をよく知る必要がある。

部分生格

 「全体の中のある一部分」を表す場合に生格が用いられる。これを «部分生格» と呼ぶ。文法的には、フィンランド語などに見られる «分格» である。とはいえ、次のような例は、そのようなことを意識するまでもなく常識的に生格の用法で理解できるだろう。

 上掲の例は、これまで述べてきた生格の「〜の」の用法の延長線上で理解できるはずである。
 なお、上掲の例はいずれも複数だが、これは普通名詞だからである。「全体の中のある一部分」を示す以上、通常複数形が用いられる。しかし物質名詞などは単数形になる。例は以下。

 問題は、第一に、次の例のように、このような場合には «第二生格» が用いられる、という点である。чай という単語は、単純に名詞と結合する場合には通常の生格になる。арома́т ча́я「お茶の香り」のごとくである。しかし「カップ1杯のお茶」という場合は、чай の分量を表している。このような生格は「所有・被所有を示す生格」ではなく「部分生格」であるから、«第二生格» になる。

 ちなみに、この3つの例で用いられているのはいずれも物質名詞である。故に単数生格となっている。
 このような «第二生格» の使用は、こんにちでは廃れつつある。すなわち、上記の例はいずれも単純な生格として、次のようになることも少なくない。

 もうひとつの問題は、このように名詞と結合する場合ではなく、動詞と結合する場合である。次のような例は、分格(部分生格)の用法として、しっかり理解しておかねばならない。この場合も «第二生格» が用いられる。

 少し詳しく説明しておこう。
 выпить воду ではまずいのかと言うと、まずい。пить воду ならよろしい。つまり、выпить という動詞は単に пить に対応する完了体動詞だというだけではなく、「ある分量を飲み干す」という特殊なニュアンスを持った独自の動詞なのである。「ある分量」であるから、たとえば「コップ1杯」である。「水というもの」のうちの「コップ1杯」分、これが生格で表現されているのである。ゆえに выпить воду ではなく выпить воды とならなければならないのである。
 「ワインを注ぐ」というのも、コップにいっぱいになるまで(あるいはある量を)注ぐということである。そのような分量が念頭にあるので、ここでは生格を用いることになる。ただし逆に言うと、あまり分量を意識せず、ワインを注ぐという行為そのものに意識が向いている場合には、налить вино と言うこともある。故に налить と結合するのは、вина という生格でも вино でもどちらでも良いということになる。むしろこんにちでは対格を支配した налить вино の方が一般的である、とすら言っていいかもしれない。
 прикупить という動詞は「補足・追加で買う」を意味する。「必要と思われる分量のうち足りない分を買い足す」ということであるから、対格ではなく生格が用いられているのである。もしこれが прикупить ではなく купить であったならどうか、と言うと、купить тетрадей と生格と結合しても、купить тетради と対格と結合しても良い。問題は、купить тетрадей の生格は部分生格ではなく数量生格である、という点である。すなわち、「ある分量のうちの一部分を買う」ではなく「大量に買う」という意味・ニュアンスになるのである。その一方で、купить хлеба の生格は部分生格である。この違いは、тетрадь が普通名詞であり、хлеб が物質名詞である、という点にある。故に、масло、мясо、молоко、овощи などの物質名詞ないし物質名詞的な性質の普通名詞は、купить と結合すると対格ではなく生格で用いられるのが一般的である(特に買い物においては、これらは「ある一定の分量のみ」を買うものだから)。
 выпить огуречного рассолу は文法的に(こんにちでは)間違いである。一致定語がある場合に第二生格が用いられることはないので、выпить огуречного рассола と言わなければならない。しかし выпить という動詞は特に分格との結びつきが強い動詞で、налить вино が許されても выпить вино が許されないのもそのためである。そのために、ここでは文法的には間違った第二生格 рассолу を思わず使ってしまっているのである。
 сил и решимости は、抽象的に言っているのではない。あくまでも「(何事かに)抵抗するのに必要なだけの分量の力と覚悟」と言っているので、特定量を表す分格(部分生格)が用いられているのである。

 ここで次の二組を比べてみよう。

  1. налить
    1. налить чай (対格)
    2. налить чая (生格)
    3. налить чаю (第二生格 = 分格)
  2. выпить
    1. выпить чай (対格)
    2. выпить чая (生格)
    3. выпить чаю (第二生格 = 分格)

 本来の文法から言うと、いずれも第二生格を使った表現が正しい。ところが、こんにちでは第二生格は廃れつつあるため、1-2 налить чая という表現が許容されている。それどころか、部分生格自体が廃れる傾向にあるため、1-2 よりも 1-1 налить чай が幅を利かせている現状である。
 ところが выпить という動詞は、部分生格との結合力が依然として強い。そのため、2-3 выпить чаю がいまだに健在である。ちなみに、2-3 が健在であるがゆえに、2-2 выпить чая は使われない。2-1 выпить чай の方がまだしも、という気もしないでもないが、五十歩百歩であろう。
 このように、動詞と結合した部分生格(分格)の用法もまた、徐々に廃れつつあるものの、一部動詞は依然として強く部分生格を要求している。故に現実問題としては、個々の動詞の用法として覚えた方がいいかもしれない。

 部分生格(分格)の用法については、過去数十年間ずっと過渡期にあるし、またこの過渡期はこの先も数十年間は続くだろう。あるいは百年後には部分生格は「古い文法」となって、выпить чаю などが «特殊な表現» として残るだけかもしれない。しかしそれまでは、微妙な使い分けをわれわれも理解しておかねばならない(われわれが使い分けられる必要はないが、使われた場合に理解できないと困る)。

欲求生格

 ロシア語の感覚では、欲求・願望・期待・到達・入手の対象は、対格ではなく生格で示す。わたしの実体験だが、食堂で何にしようか迷っていたら、おばちゃんに «Чего?» と怒鳴られてびびったことがある。こういう場合、«Что?» ではない。

 対格も可の場合、対格と生格との使い分けがどのような基準でなされているかと言うと、一般的な傾向性としては、具体的な対象は対格、抽象性の高い対象は生格で示す。また、欲求のニュアンスを明確にしたい・強調したい場合にも生格が用いられる傾向がある。

否定生格

 他動詞(対格補語をとる動詞)が否定されると、補語は対格ではなく生格になる。これが «否定生格» である。

 否定生格は、あくまでも他動詞が否定された場合にのみ発生する。ゆえに、他動詞以外のものが否定されても補語は生格にはならない。

 ロシア語では、否定の小詞 не は直後にある単語を否定する。ゆえに、他動詞の直前以外の場所に не が置かれていても、通常は、否定生格にはならない。

 これは、歴史的には大雑把に3段階を経ている。

  1. 否定生格のみが認められていた
  2. 生格補語と対格補語とが使い分けられていた
  3. 対格補語が一般化しつつある一方、間違った否定生格が増加しつつある

 第1の段階にあったのがいつ頃かはよくわからない(あるいはなかったか)。たとえばドストエーフスキイだのトルストーイだのの時代には、早くも第2の段階に入っていた。
 否定された他動詞の補語が対格になるか生格になるか、使い分けの原則は単純化すると次のようになる。

 下で紹介する「存在の否定」もそうだが、ロシア語には、否定されるべきものは生格で表す、という感覚がある。特に、存在しないものは主格や対格では表現できない。このような感覚が、生格補語を要求する。
 これに対して、現実に、具体的に存在しているものを否定する場合、「生格的感覚」が薄れる。これが対格補語を容認する根拠となっている。
 «Я не читал книги.» は книга を絶対的に否定している。「わたしは本なんてものは読んだことがない」という感じだろうか。この場合の「本」とは、この本でもあの本でもあり/なく、本全般を指している。これに対して «Я не читал книгу.» の книгу は、目の前に現存している本を指している。目の前にあるのだから、これを否定することはできない。ゆえに生格ではなく対格で表現されているのである。日本語的には「わたしはこの本は読んだことがない」という感じになろうか。
 たとえば «Я не получил письма.» は письмо の存在そのものの否定を強調している。ゆえに「わたしは手紙は(どんな手紙も)受け取っていない」という感じになる。これに対して «Я не получил письмо.» では対格が用いられているから、この手紙は具体的なもの(しばしば存在している)である。通常は、「わたしは(来ることになっている)手紙を受け取っていない」という感じである。

 21世紀のこんにちでは、このような使い分けすらも廃れつつある。おおよそ、個々の動詞の特質、動詞と名詞の組み合わせ、語順などさまざまな要素によって生格を用いるか対格を用いるかが決定されているようで、厳密に規則化することは困難である。
 それと同時に、誤った否定生格が生まれてきている。

 学習的な観点からすると、このような否定生格の使い方は覚えるべきではないが、現実には新聞や雑誌にも普通に登場している以上、知っておくべきであろう。

«直接目的語»

 ロシア語では本来、«直接目的語» を表すのは対格である。しかし、これまで述べてきたように、特殊な場合に、対格ではなく生格で «直接目的語» を表す。これらは次のように整理することができるだろう。ちなみにこの整理はあくまでも便宜的なものである。

  1. 動詞の要求による
    1. 数量生格 : 大量のものを対象
    2. 除去・忌避 : 恐怖・忌避などの対象
    3. 欲求生格 : 欲求・期待・目的の対象
  2. 生格の用法による
    1. 部分生格 : 抽象名詞・物質名詞を主に、その一部のみを対象
    2. 否定生格 : 他動詞が否定された場合の対象

 厳密に言うと、1 動詞の要求により用いられる生格は、ロシア語文法における直接補語ではなく間接補語となる。これに対して 2 生格の用法により用いられる生格は、直接補語である。

 全般的な傾向として、部分生格・否定生格という生格の用法のみならず、動詞の要求による数量生格その他も、徐々に廃れつつある。こんにちでも絶対に生格を用いなければならないのは 1-2 ぐらいであり、その他においては個々の動詞の特質、動詞と名詞との組み合わせ、果ては話者の個性などによって生格が使われたり対格が使われたりしている状況である。

 対格も可の場合、一般的に、次のような傾向が見られる。

  1. 具体的なものは対格、抽象的なものは生格
    • ждать жену ⇔ ждать возвращения жены 「妻」という具体的な存在を待つのか、その「帰還」という抽象的なものを待つのか
    • искать ключ ⇔ искать счастья 「鍵」という具体的な物体を探すのか、「幸福」という抽象的な状態を探すのか
    • выпить чашку чаю ⇔ выпить чаю 「カップ1杯のお茶」という具体的な量を飲んだのか、分量不明の「お茶」を飲んだのか
    • не купить книгу ⇔ не купить книги 「この本」を買わなかったのか、「本なるもの」を買わなかったのか
  2. 加算名詞は対格、不加算名詞は生格(主に欲求生格において)
    • просить книгу ⇔ просить чаю
    • хотеть книгу ⇔ хотеть чаю
  3. 口語では対格、文語では生格

1-2 除去・忌避

 除去の対象、忌避する対象ということで、これまた否定されるべきものを生格で表す、ということだろうか。

 たとえば отказаться「断る」という動詞が от+生格を要求するのもこのような生格の用法の一環と捉えることもできよう。しかし個人的には、実践的な観点からすると、「生格を要求する動詞」としてひとつひとつ覚えた方が早い気がする。

存在の否定

 否定生格で述べたように、ロシア語には「存在しないものは生格で表す」という規則が存在する。これは「存在しないものを主格で表すことはできない」という感覚と「否定されるべきものは生格で表す」という感覚とが融合した結果生じた規則である。

 この用法を理解していないと、次のような場合に日本人は間違って主格を使ってしまう(またこれらの露文を理解できない)。意味上は主語であるはずのこれらの言葉が生格となっているのは、「存在していないから」にほかならない。

 なお、下の3つの例文は、もし肯定文であったならばそれぞれの生格は主格となる。Су́тки прошли́,...、... приходи́ла одна́ весёлая мы́сль、... должна́ бы́ть оши́бка. 最初の文の生格 духу が主格にならないのは、単純に хватать という動詞の支配による。

 この場合、«第二生格» が多用される。ただしその多くが固定的語結合(慣用表現)となっており、辞書によっては熟語として載っている。

価値

 これまた個々の動詞の要求として覚えていい。しかし、対格と生格で意味がまったく異なる点には留意しておくべきである。

  1. Э́та кни́га сто́ит ты́сячу рубле́й. 「この本は1000ルーブリする」
  2. Э́та кни́га сто́ит ты́сячи рубле́й. 「この本は1000ルーブリの価値がある」

比較

 比較の対象は生格で示す。具体的には、形容詞・副詞の比較級の後に、名詞を生格で置いてやることで「〜よりも」という意味になる。

日付

 ロシア語では「いついつに」という時を表す言い方は、名詞により異なる。日付は、生格で表す。
 「1月1日」は первое января だが、「1月1日に」は первого января である。
 問題は、「1月1日」と「1月1日に」の区別と、первое января と первого января の区別がイコールではない、という点にある。すなわち、「今年の初雪は10月5日だった」みたいな場合、日本語では「10月5日」であって「10月5日に」ではないが、ロシア語では В э́том году́ пе́рвый сне́г вы́пал пя́того октября́. であって、пятое октября ではない。もちろん、言い回しによる部分もある。つまり、「今日」と「今日は」の違いと同じく、ロシア語ではどういう場合に名詞として使い、どういう場合に副詞として使うか、をしっかり区別できなければならないということである。

 ちなみに、сего́дня 「今日」はもともとは сего́ дня́、すなわち се́й де́нь 「この日」の生格である。

生格を支配する単語

動詞

 言っておくが、下記ですべてではない。

  1. 除去・忌避 : 生格のみを要求
    • бере́чься просту́ды 「風邪に用心する」
    • боя́ться соба́к 「犬を怖がる」
    • избега́ть опа́сности 「危険を避ける」
    • лиши́ть челове́ка пра́ва уча́ствовать в вы́борах 「人から選挙に参加する権利を奪う」
    • опаса́ться инфе́кции 「感染を警戒する」
    • остерега́ться воро́в 「泥棒に用心する」
    • пуга́ться во́лка 「オオカミに驚く・怖がる」
    • стесня́ться незнако́мых 「知らない人たちに気兼ねする(人見知りする)」
    • сторони́ться сосе́дей 「隣人を避ける」
    • стыди́ться оши́бок, окружа́ющих 「間違いを恥じる/周囲に気兼ねする」
  2. 欲求生格 : 対格と互換可能な動詞もあれば、生格しか認めない動詞もある(生格では欲求の意味が強まるか、抽象性の高いものを対象とする)
    • доби́ться допро́сом призна́ния от подсуди́мого 「尋問によって被告から自白を得る」
    • дожда́ться освобожде́ния 「解放を待つ」
    • дости́чь успе́хов со́бственным трудо́м 「自身の努力で好成績を得る」
    • жда́ть уваже́ния от дете́й 「子供たちからの敬意を期待する」
    • жела́ть молоды́м сча́стья 「若い人たちに幸福を願う」
    • иска́ть сочу́вствия 「同情を求める」
    • ожида́ть понима́ния 「理解を期待する」
    • проси́ть по́мощи у ма́стера 「熟練工に助力を求める」
    • тре́бовать отве́та от подчинённого 「部下に答えを要求する」
    • хоте́ть поко́я 「安寧を欲する」
  3. 数量生格 : 大量のものを対象としていることを示すために第二生格を用いる(そもそも生格支配の動詞であることが多い)
    • набра́ть я́год 「ベリーを集める」
    • наговори́ть ерунды́ 「たわごとを吐く」
    • надари́ть де́тям игру́шек 「子供たちにおもちゃを贈る」
    • наде́лать оши́бок 「間違いをしでかす」
    • накупи́ть малыша́м конфе́т 「子供たちにお菓子を買ってやる」
    • наслу́шаться стра́шных исто́рий 「怪談を聞いて楽しむ」
    • насмотре́ться стра́шных фи́льмов 「ホラー映画を観て楽しむ」
    • настро́ить домо́в 「家を建てる」
    • насы́па́ть муки́ 「粉を散布する・入れる」
    • натерпе́ться стра́ху 「怖ろしい目にあう」
    • начита́ться рома́нов 「小説を読んで楽しむ」
  4. 部分生格 : 対格支配の動詞において、ある一定量のものを対象としていることを示すため第二生格を用いる
    • взя́ть де́нег 「金を取る」
    • вы́пить молока́ 「ミルクを飲み干す」
    • да́ть го́стю ча́ю 「お客にお茶を出す」
    • купи́ть мя́са 「肉を買う」
    • накопи́ть о́пыта 「経験を積む」
    • нали́ть го́стю вина́ 「客にワインを注ぐ」
    • наре́за́ть сы́ру 「チーズを切り分ける」
    • пое́сть су́пу 「スープを飲む」
    • положи́ть со́ли 「塩を加える」
    • принести́ фру́ктов 「フルーツを持ってくる」
  5. その他、生格を要求する動詞
    • -ся 動詞
      • держа́ться пра́вой стороны́, пра́вил 「右側を進む/決まりを守る」
      • каса́ться про́водов 「電線に触れる」
      • набра́ться си́л 「力が湧く」
      • приде́рживаться зако́на 「法律を堅持する」
      • слу́шаться ста́рших 「年長者の言うことを聞く」
    • 足りる・足りない
      • доста́ть де́нег 「金が足りる」
      • недоста́ть де́нег 「金が足りない」
      • недостава́ть зна́ний 「知識が欠けている」
      • хвата́ть де́нег 「金が足りる」
    • その他
      • удосто́ить учёного прави́тельственной награ́ды 「学者に政府の褒賞を授与する」

形容詞・副詞

 生格の本来の用法からして、形容詞・副詞に支配されることはない。特別に生格を要求する形容詞として、以下の3つがある。

前置詞

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最終更新日 23 08 2013

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