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«格» とは、名辞類(名詞・形容詞・数詞・代名詞)が文中でどのような役割を果たすかを示す指標である。名辞類は、常にいずれかの格の用法に基づいて用いられる。
なお以下、便宜上名詞を中心に扱う。そのため「名詞は〜」といった言い回しもするが、格はすべての名辞類に共通の文法カテゴリであるから、そのような言い回しがされる場面というのは、通常、「名詞、数詞、および名詞として用いられる形容詞、名詞的代名詞(の一部)は〜」という意味である。このような、正確ではあるが煩雑な言い回しを避けるために「名詞は〜」という言い回しをする。例文などでも原則として名詞を用いているが、当然、数詞、名詞として用いられる形容詞、名詞的代名詞(の一部)も同様の用い方がされる。この点、留意していただきたい。
格の種類
一般的に、現代ロシア語には以下の6つの格が現存するとされている。
ただし文法書によっては、次のような格が言わば補助的な格として挙げられることがある。
- 呼格 : 呼語として用いられる主格の特殊な変化語尾。
- 奪格 : 慣用句などにおいて用いられる生格の特殊な変化語尾。形は分格と同じ(«第二生格»)。
- 分格 : 部分生格などにおいて用いられる生格の特殊な変化語尾。形は奪格と同じ(«第二生格»)。
- 処格 : 場所を意味する場合にのみ現れる前置格の特殊な変化語尾。
参考までに、インド=ヨーロッパ語族の言語には、もともと8つの格があったと考えられている。現代ロシア語の6つの格との関係は以下のとおり。
印欧祖語 | ロシア語 | その他 | ウクライナ語 | ポーランド語 | チェコ語 | ドイツ語 |
---|---|---|---|---|---|---|
主格 | 主格 | 主格 | 主格 | 1格 | 1格 | |
呼格 | (主格に吸収) | ロシア語以外の多くのスラヴ語に現存する | 呼格 | 呼格 | 5格 | |
属格 | 生格 | 英語の所有格はその一部の役割を引き継いでいる | 生格 | 生格 | 2格 | 2格 |
与格 | 与格 | 英語では対格(目的格)に吸収されている | 与格 | 与格 | 3格 | 3格 |
対格 | 対格 | およそあらゆる言語に対応する格が存在する | 対格 | 対格 | 4格 | 4格 |
奪格 | (生格に吸収) | 現存するのはアルバニア語・アルメニア語ぐらいか | ||||
具格 | 造格 | こんにちも残すのはスラヴ語ぐらい | 造格 | 造格 | 7格 | |
処格 | なし(前置格に変化) | 同上(ただしロシア語同様に前置格に変化) | 処格 | 前置格 | 6格 |
※ウクライナ語の格の名称が日本語でどう訳されているかよく知らない。
格の標示
格を標示する方法は、言語によって次の3タイプに分かれる。
- 屈折語 : 単語の形態変化によって示す
- 膠着語 : 複数の単語を組み合わせることで示す
- 孤立語 : 格を持たない(示さない)
孤立語は、たとえば中国語がそうである。名詞が格を持たない(示さない)ため、主語や目的語といった文中における単語の役割は語順などが示す。さらに現在では英語もそうだし、フランス語などもこれに含まれると言っていいだろう(いずれも代名詞を除けば格変化をしなくなった)。
膠着語とは日本語がその代表例である。「わたし」という単語に「は」、「の」、「に」、「を」を加えることで、主語なのか目的語なのか修飾語なのかを示している。
ロシア語は代表的な屈折語である。すなわち、ロシア語の名辞類は、格に応じてその形を変える。インド・ヨーロッパ語族の言語は元来がすべて屈折語であったが、上述のように英語やフランス語などは屈折語的な特徴を失い、かなり孤立語に接近している。これに対してロシア語(を含む多くのスラヴ語)は、いまだに(少なくともほかの言語に比べれば)厳格な屈折語的特長を保っている。
なお、以上の話は名詞に限ってのこと。動詞については、たとえば日本語でも動詞そのものが形態変化するし(いわゆる活用)、英語やフランス語も依然として動詞そのものが変化して人称・時制・法相体を示している。
ゆえに、名辞類の形態変化をマスターしないとロシア語はできない。英語のようにただ単に和英辞典から拾ってきた単語を定められた順番で並べれば何となく通じる、というわけにはいかないのである。例を挙げよう。
- 太郎は花子を愛している。 ⇔ 花子を太郎は愛している。
- John loves Mary. ⇔ Mary loves John.
- Иван любит Машу. ⇔ Машу любит Иван.
それぞれ日本語、英語、ロシア語において、主語と目的語の順番を入れ替えた。英語では、その結果、「誰が誰を愛しているか」、主語と目的語とが入れ替わってしまっている。これが孤立語というものである。これに対して日本語では、語順が入れ替わっても、「は」と「を」という主語・目的語を示す格助詞が変わらないため、意味も変わらない。同様にロシア語においても、Иван は主格、Машу は対格という格そのものが変化していないので、左右の文はまったく同じ意味を表す。
これが格というものである。
さらに言えば、Машу という語形は対格であるが、これが Маша だと主格になる。Маше では与格ないし前置格、Маши では生格となる。このように、ロシア語では格は本来的に変化語尾によって標示される。いかなる変化語尾がいかなる格を示すかは、名辞類の性と数に応じて厳格に定まっている。名辞類変化を確認いただきたい。繰り返すが、これをマスターしないとロシア語はできない。
しかしロシア語では、多くの対格が主格ないし生格と同じ変化語尾をとる。さらに少なからぬ不変化名詞(語尾変化をしない名詞)が存在する。これらにおいては、格は他の単語との関係性によって示される。
- купи́ть хле́ба (生格) ⇔ убра́ть хлеба́ (対格)
- успе́х студе́нта (生格) ⇔ ви́деть студе́нта (対格)
- носи́ть пальто́ (対格) ⇔ ходи́ть без пальто́ (生格)
- Подъезжа́ло такси́. (主格) ⇔ О́н прие́хал на такси́. (前置格)
- Ра́й существу́ет то́лько для ве́рующих. (主格) ⇔ О́н отпра́вил сопе́рника в ра́й. (対格)
かくして、格の正確な把握には、変化語尾と同時に他の単語との関係性の正確な理解もまた必須である。しかし、たとえば主格が目的語として用いられることはないから、他の単語との関係性と言ってもやはりその正確な理解には格の用法の正確な理解が不可欠となる。
格と品詞
格とは、名辞類が文中でどのような役割を果たすかを示す標示であるから、名辞類はすべて格に応じて語尾を変化させる。
名詞、数詞、代名詞は、それぞれ文中での役割に応じた格をとる。
- Ива́н лю́бит Ма́шу. ※Иван は主格で主語、Машу は対格で «目的語»。
- Ива́на лю́бит Ма́ша. ※Ивана は対格で «目的語»、Маша は主格で主語。
形容詞は、定語の場合、すなわち名詞などを修飾する場合は、被修飾語の格と同じ格となる。述語の場合には、意味に応じた格をとる。
- 定語の場合 : У́мная ло́жь лу́чше глу́пой пра́вды. ※ложь が主格なのでこれを修飾する Умная も主格。правды が生格なので глупой も生格。
- 述語の場合 : Моя́ ма́ма стро́гая.
名詞、形容詞、代名詞、動詞、副詞、前置詞は、他の名辞類(主に名詞・代名詞)を支配する(ことがある)。その場合、単語と意味によって要求する格が異なる。
- 名詞による格支配
- письмо́ бра́та (生格支配) 「兄からの手紙」 = письмо́ от бра́та (前置詞+斜格支配)
- письмо́ бра́ту (与格支配) 「兄への手紙」 = письмо́ к бра́ту (前置詞+斜格支配)
- 形容詞による格支配
- изве́стный все́м (与格支配) 「みんなに知られている」
- изве́стный колле́кцией жи́вописи (造格支配) 「絵画コレクションで知られている」
- изве́стный о прое́кте (前置詞+斜格支配) 「プロジェクトに通暁している」
- 動詞による格支配
- плати́ть зарпла́ту (対格支配) 「給与を支払う」
- плати́ть рабо́чим (与格支配) 「労働者に支払う」
- плати́ть до́лларами (造格支配) 「ドルで支払う」
- плати́ть за рабо́ту (前置詞+斜格支配) 「労働に対して支払う」
数詞による名辞類の格支配については、数詞のページを参照のこと。
格の文中での役割
«文の成分» とは、文中における単語の役割を分類したものである(詳細は別途)。
- 主成分
- 主語
- 述語
- 二次成分
- 補語 : 名詞・形容詞・動詞などを補完するもの(«目的語» など)
- 定語 : 名詞を修飾するもの(«修飾語»)
- 状況語 : 「いつ」、「どこで」、「どう」、「なぜ」など
- 文外詞 : 文の成分にならないもの(文法上は不要)
- 呼語 : 呼びかけ
- 挿入語 :「つまり」、「もちろん」など
- 間投詞 : 「あら」、「えーと」、「うん」など
格と文の成分とは呼応していない。とはいえ、主語になれるのは主格だけである、など、文法上の制約がある。以下、格と文の成分との基本的な関係を挙げる。当然ながら、例外的な用法は省いてある(詳細な、および例外的な用法についてはそれぞれの格のページを参照)。
主格 | 生格 | 与格 | 対格 | 造格 | 前置格 | 前置詞+斜格 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
主語 | ○ | × | × | × | × | × | × |
述語 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | × | ○ |
補語 | × | ○ | ○ | ○ | ○ | × | ○ |
定語 | × | ○ | × | × | × | × | ○ |
状況語 | × | ○ | × | ○ | ○ | × | ○ |
呼語 | ○ | × | × | × | × | × | × |
例外的な用法と言えば、主格も定語となることがある。また、そもそも補語と定語の厳密な区別は場合によっては困難で、ゆえに与格や造格も定語になり得る、とも言える。
- 主語として (厳密には、主語となり得るのは主格のみ)
- 主格 : 主語「〜は」
- 生格 : 述語が数詞の場合、存在が否定された主語の場合
- 与格 : 無人称文における «意味上の主語»
- 述語として
- 主格 : «補語»「〜だ」
- 生格 : 所有者「〜のものだ」、性質「〜という性質だ」、数量生格「大量の〜だ」
- 与格 : «間接目的語»「〜へだ」
- 造格 : «補語»「〜だ」
- 状況語として
- 生格 : 日付「〜日に」
- 対格 : 期間「〜の間」、反復
- 造格 : 時「〜に」、道程「〜を」
補語・定語としての用法については、下記「名詞と他の単語との関係」の用法がほぼすべてこれに相当する。
名詞と他の単語との関係
名詞が、名詞も含む他の単語と結合する場合、いかなる格が許されるか、その意味も含めて次の一覧表にしてみた。当然ながら、例外的な用法は省いてある(詳細な、および例外的な用法についてはそれぞれの格のページを参照)。
なお、以下で用いる «目的語» も «補語» も英語文法におけるものと考えていただきたい。すなわち、SVO、SVC、SVOO、SVOC の O が «目的語»、C が «補語» である。«目的語» はロシア語文法では用いられない概念だし、«補語» はロシア語文法では異なる使い方をしている(上記の通り)。
- 名詞との結合
- 主格 : 付語「〜という名の○○」
- 生格 : 所有者「〜の○○」、性質「〜という性質の○○」、その他「〜の○○」、「〜という○○」、動作の客体「〜を○○すること」、動作の主体「〜が○○すること」、数量生格、部分生格、欲求生格、忌避・除去
- 与格 : «間接目的語»「〜への○○」、関係性「〜にとっての○○」
- 造格 : 道具・手段「〜による○○」、方法・原因「〜による○○」、動作の主体「〜による○○」、様態・比喩「〜のような○○」、限定(主に度量衡)
- 形容詞との結合
- 生格 : 比較級との結合で比較の対象「〜よりも」
- 与格 : «間接目的語»「〜に対して○○な」、関係性「〜にとって○○な」
- 造格 : 限定
- 数詞との結合
- 生格 : 数量生格「○○個の〜」
- 与格 : 年齢「〜は○○歳」
- 動詞との結合
- 生格 : «直接目的語»(数量生格、部分生格、欲求生格、否定生格、忌避・除去、価値)
- 与格 : «間接目的語»「〜に○○する」、一部動詞の«直接目的語»「〜を○○する」、無人称動詞の動作主体「〜が○○する」
- 対格 : «直接目的語»「〜を○○する」、数量の提示
- 造格 : 道具・手段「〜によって○○する」、方法・原因「〜によって○○する」、一部動詞の«直接目的語»「〜を○○する」、受動相の動作主体「〜によって○○される」、無人称動詞の動作主体「〜が○○する」、様態「〜で○○する」、比喩「〜のように○○する」、«補語»「〜だと○○する」、«補語»「〜に・と○○する」
- 副詞との結合
- 生格 : 比較級との結合で比較の対象「〜よりも」
- 与格 : 述語副詞との結合で関係性「〜にとって○○だ」