Е17:否定生格
こんな文法用語を覚える必要はないが、この文法そのものは完璧に身につけないとならない。
否定生格とは、名詞の対格を要求する動詞が否定された場合、要求する名詞が対格ではなく生格になる、というものである。こんな抽象的な言い方ではわかりづらいと思うので、具体例で見ていこう。
Я́ чита́ю рома́н. 「ぼくは小説(単数)を読む」
のように、читать という動詞は対格 роман を支配している。ところが、この читать という動詞が否定されると、роман が対格ではなく生格になるのである。
Я́ не чита́ю рома́на. 「ぼくは小説なんて読まない」
この法則は、単純と言えば単純だが、なかなか日本人には馴染みづらい。とりあえずほかの例も挙げておこう。
сты́д(男性名詞)羞恥心・恥じらい
- Я́ зна́ю жи́знь. 「わたしは人生というものを知っている」 ⇔ Я́ не зна́ю жи́зни. 「わたしは人生を知らない(人生経験がない)」
- Мо́й оте́ц име́ет о́пыт. 「父には経験がある」 ⇔ Мо́й оте́ц не име́ет о́пыта. 「父には経験がない」
- Она́ что́-то покупа́ла в Москве́. 「彼女はモスクワで何かを買った」 ⇔ Она́ ничего́ не покупа́ла в Москве́. 「彼女はモスクワで何も買わなかった」
- Потеря́й сты́д. 「羞恥心なんぞ棄てちまえ」 ⇔ Не теря́й стыда́. 「恥じらいを忘れるな」
- Слу́шай его́. 「かれの言うことを聞け」 ⇔ Не слу́шай его́. 「かれの言うことを聞くな」
問題は、
Я́ не чита́ю рома́н.
のように、動詞が否定されているにもかかわらず目的語が対格だと、特殊なニュアンスが表される、という点である。このため、上のように言ってしまうと、相手のロシア人は「あ、こいつ間違えたな」とは思わずに、別の意味で理解してしまうのだ。このように、否定生格が正確に使えないと、相手に誤解を与えかねない。
ちなみに、対格の特殊なニュアンスについては、もう少しレベルを上げてから学ぼう。
この法則は、文意が否定であったり、動詞以外のものが否定されていたり、という場合には無関係である。あくまでも動詞そのものが否定されている場合の話である。
- О́н ре́дко чита́ет кни́гу. 「かれはめったに本を読まない」
※文意そのものは否定を含意しているが、文面には не が存在せず、ゆえに目的語は対格。生格にはならない。- редко という副詞は否定的な意味を表すが、文法上はあくまでも肯定文である。
- Не все́ чита́ют э́ту кни́гу. 「誰もがその本を読んでいるわけではない」
※否定文ではあるが、не が否定しているのは動詞 читает ではなく все。ゆえに目的語は対格。生格にはならない。 - Не на́до покупа́ть таку́ю кни́гу. 「そんな本を買うことはない」
※同上。не が否定しているのは動詞 покупать ではなく述語副詞 надо。 - Мо́жно не покупа́ть тако́й кни́ги. 「そんな本買わなくていい」
※意味的には上と同じようなものだが、こちらでは не は動詞 покупать を否定している。ゆえに目的語は対格ではなく生格になっている。
もうひとつ。目的語として対格ではなく与格や造格を要求する動詞の場合も、この法則は無関係。
- Са́ша помога́л Лёше. 「サーシャはリョーシャを手伝った」 ⇔ Са́ша не помога́л Лёше. 「サーシャはリョーシャを手伝わなかった」
- О́н торгова́л овоща́ми. 「かれは野菜を商っていた」 ⇔ О́н не торгова́л овоща́ми. 「かれは野菜を商っていなかった」
繰り返すが、このように、この法則はあくまでも
- 対格を要求する動詞のみ
- 動詞そのものが否定された場合のみ
#117 対格を要求する動詞が否定されると、要求される名詞は対格ではなく生格になる。=否定生格
Я́ друго́й тако́й страны́ не зна́ю, 「わたしはこんな国はほかに知らない」
Где́ та́к во́льно ды́шит челове́к. 「人がかくも自由に呼吸する国は」『Марш о родине』