А07:アクセント
アクセント(力点)は、ロシア語の発音において、個々の母音・子音の正確な発音以上に重要な要素である。極端に言うと、アクセントさえ正しければ、多少発音がおかしくてもロシア人には通じる(ことが多い)。逆にアクセントを間違えると、発音がネイティヴ並みだとしてもロシア人には通じない。
ロシア語には、アクセントのある単語とない単語とがある。文法的に言うと、アクセントがないのは前置詞、接続詞、小詞のそれぞれ一部である。それ以外は、どの単語にもひとつだけアクセントがある。
アクセントは常に母音に置かれる。子音にアクセントが置かれることは、少なくともロシア語ではあり得ない。よって母音字、すなわち母音がひとつしかない単語では、その唯一の母音にアクセントがあることになる。
ロシア語においては言わば死活問題であるアクセントであるが、意外と多くの日本人がいい加減に扱っている。これにはふたつの側面があると思う。
- アクセントの重要性を認識していない
- アクセントとはどのようなものか理解していない
アクセントの役割
ロシア語のアクセントには、次の特徴がある。
- 位置は単語によって異なる
- 文法的な変化に応じて、位置が移動する
同じスラヴ系の言語で言うと、チェコ語では単語の最初の音節に、ポーランド語では最後から2番目の音節にアクセントがある。しかしロシア語では、単語ごとに異なる。ゆえに за́мок は「城」、замо́к は「錠」と、まったく異なる意味になる。このように、アクセントの位置を間違えると、別の単語になってしまう。それだけではない。вода́ という単語があるが、これは「水」という意味である。これに対して、*во́да という単語は存在しない。とはいえ、「水」と言いたくて *во́да とアクセントの位置を間違えて発音してしまうと、ロシア人は вода́ とは別の単語だと認識するから、結局通じないことになる。すなわち、AとBという複数の単語を区別するだけでなく、AをAたらしめているのもまたアクセントの位置ということである。ゆえに、どんなにボキャブラリが豊富でも、アクセントの位置を正確に覚えていなければ何の役にも立たない。
他方で、мо́ря も моря́ もどちらも「海」という意味だが、前者は単数生格、後者は複数主格と、文法的な役割が異なる。これを間違えると、ロシア人にはこの「海」という単語がどのような役割を果たしているのか識別できない。場合によっては、アクセントの位置を間違えたことで、主語が目的語に、目的語が主語に勘違いされてしまうようなこともあり得るのだ。すなわち、どんなにボキャブラリが豊富で、なおかつ文法が正確であっても、アクセントの移動を正確に覚えていなければ文にならない。
このようにロシア語においてアクセントは、単語を識別する役割と同時に、同じ単語において文法的役割の相違を示す役割も果たしている。ゆえにアクセントの位置およびその移動は、きちんと把握し覚えておき、なおかつ実際に発音する際に間違えずに発音しなければならない。
強弱アクセント
上述のようなアクセントの重要性をどんなに力説しても、やはりアクセントをいい加減に扱う日本人が少なくない。それはつまり、日本語のアクセントとロシア語のアクセントの違いを認識できず、結果として「ロシア語ではアクセントは重要ではない」と勘違いしているためである。
日本語のアクセントは、音の高低で示される。「アメ」を高低と発音すると「雨」、低高と発音すると「飴」になる。これが高低アクセントである。しかしロシア語では、音の高低は単語のアクセントではなく、文のイントネーションである。つまり、単語を識別する役には立たない。だからロシア人には、「雨」と「飴」の区別がつかない。「橋」と「箸」、「依頼」と「以来」の区別ができないのである。
ロシア語のアクセントは、強弱で示される。音の強弱は様々な要素を含むが、アクセントのある母音は強く、すなわちその母音「本来の音」で発音されるが、アクセントがない母音は «弱化» する。
アクセント | 量的弱化 | 質的弱化 | |
---|---|---|---|
ある | 大声で | 長めに | 明瞭に |
ない | 小声で | 短めに | 曖昧に |
アクセントのある母音にはアクセント記号「 ́」がふられることがあるが、これは辞書や教科書での話。通常の印刷物や、あるいは手書きでは、アクセント記号などふられない。
アクセントの有無を識別する本来の要素は強弱だが、これは言ってしまえば声の大小のことである。どの程度の大きさかは個々人次第であるから、大小と言っても相対的なものである。アクセントのある母音を通常よりも大きく発音してもいいし、アクセントのない母音を通常より小さく発音しても同じことである。いずれにせよ、音の大小でアクセントの有無を区別すればいいのである。
ところが通常、人間は、声を大きくしようとすると音が高くなる。声を小さくしようとすると音が低くなる。逆もまた真なり。英語で speak low と言えば、それは「低音で話す」ではなく「小声で話す」という意味だ。いや、厳密に言えば、英語では「低音で話す」=「小声で話す」ということだろう。ゆえに、アクセントのある母音(有力点母音)を低く発音しようとすると、結果として音がそれほど大きくならない。逆にアクセントのない母音(無力点母音)を高く発音すると、微妙に音が大きくなってしまう。
結果、ロシア語でも、有力点母音は高く、無力点母音は低く発音されることが多くなる。しかしそれは、有力点母音を大声で話そうとした結果高くなってしまったのであり、高く話すことが大事なのではない。
ラジオなどのロシア語講座で、ロシア人講師が単語練習の際に単語を繰り返して発音すると、次のような感じになることがある。
вода́ ↗, вода́ ↗, вода́ ↘.
これを音節ごとの音の高低で示してみると、
во | да | во | да | во | да |
低 | 高 | 低 | 高 | 高 | 低 |
という感じになる。有力点母音の да が、ある時には高く、ある時には低く発音されている。「ロシア語のアクセントはいい加減なんだ」と日本人が誤解するのはこのような時である。繰り返すが、音の高低はアクセントとは本質的には無関係である。特別そうは感じ取れないかもしれないが、低く発音された最後の有力点母音 да は、高く発音された直前の無力点母音 во に比べて、微妙に音が大きいはずである(あるいは音の高低に影響されて、どちらも同じ大きさになっているかもしれない)。
ロシア語のアクセントの2つ目の特徴は、音の長短である。有力点母音は長めに、無力点母音は短めに発音される。
ただし、音の長短でアクセントの有無を識別しているわけではない。逆で、結果として有力点母音が長めに発音されている、無力点母音が短めに発音されている、というだけのことである。ゆえに、「レーニン」と発音しても「レニン」と発音しても、ロシア人には何の違いもない。と言うより、何がどう違うのか、ロシア人には理解できない。
ロシア語の母音には、長母音と短母音の区別がない。ロシア語では「ア」と「アー」は同じ音である。「トド」、「トード」、「トドー」、「トードー」の区別ができないのである。「ベタ」と「ベータ」と「ベター」が、ロシア語では同じ単語と認識される。ちなみに、それゆえ、「小野」と「大野」の区別ができない。
ロシア語では、母音の長短には何の意味もない。
第三が母音の質的弱化であるが、これは別の言い方をすれば、アクセントがない母音は別の音になる、ということである。
音韻交替
アクセントのある母音はその母音本来の音で発音されるが、アクセントがない母音は、本来の音よりも「質的に弱い音」で発せられる。これが母音の質的弱化であるが、音声学的に言うと、アクセントのある母音とアクセントのない母音とでは別の音になる、ということである。
参考までに、アクセントの有無により実際の発音がどう変化するか、以下に示してみる。
я | а | о | ё | э | е | и | ы | у | ю | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
本来の音 | [æ] | [a] | [o] | [ɵ] | [ɛ] | [e] | [i] | [ɨ] | [u] | [ʉ] |
アクセントなし | [ɪ] | [ə], [ɪ] | [ə] | - | [ə], [ɨ] | [ɪ] | [ə] | [ʊ] |
ただし厳密な発音は、地域(方言)や個人による差もあり得るので、必ずしもこのとおりではない。
いずれにせよ、次のことは理解していただけただろうか。すなわち、ロシア語ではアクセントの有無で音が違う。アクセントのない /a/ という発音は存在しないし、アクセントのある /ɪ/ という発音も存在しない。
ただし、ここまではかなり学問的な話。こんな厳密な法則は、そう簡単に覚えられるものではないし、こんなものを覚える暇があったら単語のひとつも覚えた方がはるかに有益である。ということで、実践面からより簡略化した表を次に示す。
音韻交替あり | 音韻交替なし | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
о | а | я | е | э | и | ы | у | ю | ё | |
本来の音 | /o/ | /a/ | /e/ | /e/ | /i/ | /ɨ/ | /u/ | /o/ | ||
アクセントなし | /ə/ | /ɪ/ | - |
すなわち、
- а と о はアクセントがないと /ə/ になる (日本人の耳には「ア」としか聞こえない)
- я と е はアクセントがないと /ɪ/ になる (日本人の耳には「イ」としか聞こえない)
- ё には常にアクセントがある
- それ以外はアクセントの有無にかかわらず同じ発音
と、こんな風に覚えておこう。
ただしアクセントのない я と е をそれぞれ「ヤ」、「イェ」と発音しても問題ない。ロシア人も、丁寧に発音する際にはそう発音している(厳密には微妙に違うが)。
ということで、
- アクセントのない о は「ア」
- それ以外はすべて本来の音
これでも十分通用する。たいていの教科書にもそう書いてある。
さらに言ってしまうと、
- すべての母音はアクセントがあろうがなかろうが本来の音
でも何とかなる。と言うのも、アクセントのない о を「オ」と発音する方言がロシアにはあるからだ。вода́ という単語を、標準ロシア語では「ヴァダー」という感じで発音するが、一部方言では「ヴォダー」と発音する。
とはいえ、われわれは標準ロシア語を学んでいるのであり、可能であればネイティヴの発音に近い発音をすべきである。ゆえに、せめて上で示した4法則ぐらいは身につけよう。
- лица́ /lʲɪʦa/ ⇔ ли́ца /lʲiʦə/
во́ды /vodɨ/ ⇔ воды́ /vədɨ/ - пя́тна /pʲatnə/ ⇔ пятна́ /pʲɪtna/
ве́сти /vʲectʲɪ/ ⇔ вести́ /vʲɪctʲi/
なお、この規則は外来語には適用されないこともある。適用されるかどうかは、ロシア人の気分次第である。端的に言って、ロシア人が「これは外国語起源のロシア語だ」と認識していれば適用される。「まだロシア語になっていない外国語だ」と認識していれば適用されない。とはいえ、慣習的に適用されないものも少なくない。
具体的に見てみよう。
Ле́нин の場合、е にアクセントがある。ゆえにこの母音は、「大声で」、「長めに」、「本来の音で」発音される。これに対して и にはアクセントがない。ゆえにこの母音は、「小声で」、「短めに」、「曖昧に」発音される。ただし「曖昧に」と言っても、и はアクセントの有無にかかわらず同じ発音である(少なくとも日本人には区別がつかない)。だからこれは気分の問題である。これを、「雨」というイントネーションで発音しようと「飴」というイントネーションで発音しようと、ロシア語としては区別不可能である。
хорошо́ の場合、о という母音字が3つもあるが、アクセントがあるのは最後である。ゆえに、最後の о のみ「大声で」、「長めに」、「本来の音で」発音される。これに対して、最初のふたつの о は「小声で」、「短めに」、「曖昧に」発音される。この場合の「曖昧に」とは、上記のように、/ə/ という発音で、ということである。つまり全体として、/xərəʂo/ という発音になる。だからカタカナでは「ハラショー」と表記されるのである。ただし、「ハラショー」でも「ハラショ」でもロシア語としては同じことである。また、「低低高」というイントネーションで発音しても、「高高低」というイントネーションで発音しても何の違いもない。
час という単語は、母音字がひとつだけだから母音もひとつだけ、当然ここにアクセントがあるので、/ʨas/ という発音になる。ちなみに、ч は軟子音字である。ゆえに続く硬母音字 а が表す母音は、硬母音ではなく軟母音である。つまり *чяс ということだが、正書法の規則により ч の後に я を書くことができないので、час というスペルになっているのである。なぜこんな細かいことを言うかと言うと、複数形の発音においてこれが重要な意味を持つからである。この単語、複数形になると часы́ と、アクセントの位置が移動してしまう。こうなると、а は「アクセントのない硬母音」ではなく「アクセントのない軟母音」となる。つまり、/ə/ ではなく /ɪ/ と発音されるのである。よって、全体で /ʨɪsɨ/ という発音になる。
ё
上にも書いたように、ё という文字は、常にアクセントのある母音として発音される。音という観点から言えば、ロシア語では /jo/、あるいは軟子音の後の /o/ には常にアクセントがある、ということになる。
アクセントが移動して ё からアクセントが失われた場合、ё は е と書かれる。発音は、アクセントのない е、つまり /ɪ/ になる。
- лёгкий /lʲoxkʲɪj/ ⇒ легко́ /lʲɪxko/
- чёрный /ʨornɨj/ ⇒ черноволо́сый /ʨɪrnəvəlosɨj/
逆に、アクセントのない е にアクセントが移ってきた時は、ё になるか е́ になるか、単語次第であり、語形変化次第。
- сестра́ /sʲɪstra/ ⇒ сёстры /sʲostrɨ/
- серьга́ /sʲɪrʲga/ ⇒ се́рьги /sʲerʲgʲɪ/
弱アクセント
アクセントは「強く」発音される母音であるから、«弱アクセント» というのもおかしな話だが、複数の単語が結びついてつくられた語結合の一部、および前置詞の一部にこれが現れる。「 ̀」という記号で表される。
弱アクセントのある母音は、単純に言うと «量的弱化» では無力点母音のように、«質的弱化» では有力点母音のように発音する。つまり、о̀ は、発音は「オ」。ただし小声で、短めに。
трёхколёсный は、три が変化した трёх- と、колёсный とが結合してできた単語である。ё という文字(音)には常にアクセントがあるが、一単語にアクセントはひとつだけである。この場合、ふたつめの ё にアクセントがある。すると трёх- の ё にはアクセントがなくなってしまうが、アクセントのない ё は е となって、発音がまるで違ってしまう。そこでこの最初の ё に、弱アクセントが置かれる。ゆえに「ヨ」という ё 本来の音で発せられるが、アクセントのない母音と同じように小声で、短めになる。
пѐред обе́дом には、3つの е があるが、すべて発音が異なる。第3の е にアクセント(正アクセント)があるから、これのみ「イェー」と発音される。次に、最初の е には弱アクセントがある。アクセントがないかのように小声で、短めに発せられるが、音そのものは [ɪ] ではなく [e] である。そして第2の е にはアクセントがないから、小声で、短めに、[ɪ] と発せられる。