ロシア語講座:初級

А05:硬音と軟音

ロシア語の子音の発音は硬音と軟音の対比により体系づけられている。
 単純に言うと、硬音が「アウオ」、軟音が「ヤユヨ」、硬音が「カクコ」、軟音が「キャキュキョ」というものである。この辺りはわれわれ日本人にも感覚的に理解できる。

硬音と軟音の基礎

 ロシア語文法では «硬音» と «軟音» という言い方をするが、音声学的にはこれは «非口蓋化音» と «口蓋化音» のことである。
 非口蓋化音とは、ようするに普通の音。口蓋化音とは、普通の音よりも «口蓋» の近くで発せられる音である。
 人間の口の中で、上から覆いかぶさっている部分を «口蓋» と呼ぶ。口の中に指を入れて確認してみるとわかりやすい。先ず上の前歯がある。次に歯茎がある。その先に、言わば落ち込んだ場所が広がっている。これが口蓋である。ところが指先の感覚が、口蓋の前方と後方とで微妙に違うはずだ。口蓋の前方はザラザラしているが、後方はヌメヌメしている。この前方、ザラザラした部分を «硬口蓋»、後方のヌメヌメした部分を «軟口蓋» という。ちなみに軟口蓋のさらに奥は «口蓋垂»、いわゆる「のどちんこ」である。
 軟音、すなわち口蓋化音とは、硬口蓋の付近で発せられる音のことである(軟口蓋ではない)。

 「ナ」と「ニャ」を何度も繰り返し発音してみよう。「ニャ」と発音する際、「ナ」よりも、舌が硬口蓋に接近していることに気づくだろうか。ネイティヴは誰もそんなことを意識しないが(意識せずに発音できるからネイティヴなのだが)、ロシア語の軟音を発音する際にはわれわれはこの点を意識すると、発音しやすくなる。

硬母音と軟母音

 硬母音と軟母音は、それぞれ別の文字で表される。

硬母音字аыуэо
軟母音字яиюеё

 これをあえてカタカナで表記すると、以下のようになろう。

硬母音
軟母音イェ

 厳密な発音を置いておくとすると、このようにほとんど日本語そのままで通じる。問題は、★、すなわち ы と、「イェ」、すなわち е である。

 е /je/ の発音は、意外とできていない日本人が多い。これにはふたつの側面がある。

  1. /je/ という発音そのものができない。
  2. 特にロシア語の場合、э /e/ との区別ができていない。

 第一点については、つまりは /je/ と発音しているつもりで /ie/ と発音しているというパターンである。yes を「イエス」と発音するお国柄であるから致し方ないところはあるが、これはもう練習しかない。一番いいのは、誰か他人に聞いてもらい、確認すること。
 /je/ という発音そのものはできても、実際にロシア語を発音する際に /e/ と発音していては無意味である。それが第二点である。мех という単語を /mex/ と読んでしまうパターンである。これは /m'ex/ と発音される。強いてカタカナで表記すれば、「メフ」ではなく「ミェフ」である。
 ただし、こういうことを言っては真面目にロシア語に従事している人に怒られるだろうが、実は е /je/ と э /e/ の区別ができなくても何の問題もない。ロシア人には「こいつ発音下手だな」と思われるだろうが、それだけで済む。と言うのも、純ロシア語で э /e/ を使うのは экий、этакий、этот とその派生語だけでしかないからである。これ以外に э /e/ を使うのは、экзамен (examen)、экономика (economica)、электрический (electric)、эхо (echo) などの外来語である。特に экземпляр (exemplaire)、экран (écran)、этаж (étage) などフランス語が多い(エルミタージュもフランス語だ)。しかもすべて語頭である。/je/ と発音すべきところを /e/ と発音してしまった結果、ロシア人に伝わらなかった、などという事態は発生し得ない。ゆえに、現実問題としては、е /je/ を /e/ と発音してしまっても構わないのである。

 他方で、上掲の図では★で示した ы /ɨ/ の発音は、それなりにできないと困ることになる。とはいえ、ы という文字には大文字がないが、これはこの音が語頭に置かれることがなく、必ず語中か語末にある、ということを意味する。しかも、子音の後である。ゆえに、ы /ɨ/ の発音は単独で練習しても意味がない。必ず子音との結合で、たとえば бы とか ры という形で練習すべきである。

硬子音と軟子音

 子音字は、硬子音を表すか軟子音を表すかで次のように分類される。

硬軟対応あり硬軟対応なし特殊
硬子音字бвдзлмнпрстфжцшгкх
軟子音字чщй

とは書いたが、実はこの表を覚える必要はない。
 硬音と軟音の対応がある子音は б、в、д、з、л、м、н、п、р、с、т、ф。これらはすべて硬音字によって表されているので、軟音を示すには以下のような方法が採られる。

 すなわち、м という硬子音字の後に а という硬母音字を書く(ма)と「マ」という硬音になるが、я という軟母音字を書く(мя)と「ミャ」という軟音になる。бэ は「ベ」だが、бе は「ビェ」である。
 一方、後に子音が続く場合と、語末においては、м という硬子音字の後に ь という軟音記号を書くことで、軟子音であることを表す(мь)。

 硬音と軟音の対応がない子音は ж、ц、ч、ш、щ。これらは硬音と軟音の対応がないから、ж、ц、ш は硬音しか表せない。また ч、щ は軟音しか表せない。別の言い方をすると、ж、ц、ш の音(それぞれ /ʐ/、/ʦ/、/ȿ/)は常に硬音、ч、щ の音(/ʨ/ と /ɕː/)は常に軟音、ということである。

 г /g/、к /k/、х /x/ は特殊な文字・発音である。厳密には硬軟の対応があるのだが、実際には対応がないかのように使われている。これについてはスペルの規則ともかかわるので、下記の正書法を参照のこと。
 й は子音の中でも «半母音» と呼ばれるもので、ほかのあらゆる子音と扱いが異なる。この点も下で述べる。

 子音の発音については、項を替えて、ひとつひとつ詳しく見ていこう。

硬音記号と軟音記号

 硬音記号 ъ と軟音記号 ь には、大きく次の3つの役割がある。

子音の硬軟を示す

 上述のように、子音字の後に置かれた軟音記号は、前の子音が軟音であることを示す。もともと硬音記号も、子音字の後に置かれ、前の子音が硬音であることを示した。しかしこれまた上述のように、子音字は(その多くが)単独で硬音であることを示すがゆえに、硬音記号はこんにちでは用なしである。ロシア革命の前と後で、硬音記号を書く・書かないの規則が変わったので、ドストエーフスキイの直筆などには硬音記号がやたらと書かれている。

発音硬軟
стал/stal/硬音「〜になった」(現在の表記)
сталъ/stal/硬音「〜になった」(革命前の表記で、現在は使われない)
сталь/stal'/軟音「鋼鉄」

 すなわち、こんにちこの役割を果たしているのは軟音記号だけ、ということである。

文法を示す

 たとえば、ш は常に硬音である。ゆえに шь というスペルはあり得ない。ところが実際には、мышь、тешь、ходишь などが存在する。これらはすべて、発音上は *мыш、*теш、*ходиш と同じことである。
 発音上意味のない軟音記号が使われている理由は、軟音記号が文法的な役割を果たしているからである。たとえば上掲の例で言えば、それぞれ女性名詞、動詞命令形、動詞現在形二人称単数であることを示している。

分離記号として

 硬音記号と軟音記号は、前の文字と後の文字の発音を切り離す。このためこれらを分離記号と呼ぶことがある。

 具体例を挙げてみよう。

 「座る」では с と е が連続している。発音は普通に се である。これに対して「食べる」では、このふたつの文字の間に硬音記号が挟まれている。その結果、с と е の音が分離されるのである。どういうことかと言うと、まず с と発音して一旦音を切る。しかる後に е を発音する。これは с 単独の発音ができなければ発音できない。強いてカタカナ表記すると、сесть が「シェスチ」であるとすると、съесть は「スイェスチ」といった感じだろうか。
 подъём という単語は、まず подъ = под と発音する。そしてそれと切り離して ём と発音するのである。あえてカタカナ表記すれば「ポドヨム」という感じだろうか。もし ъ がなく、подём というスペルだったら、「ポデョム」といった感じの発音になってしまう。

 軟音記号でも同じことである。бю だと「ビュ」という普通の発音だが、бью は日本人には不可能な発音である。これはまず бь と発音した後で ю と発音する。強いてカタカナ表記すると「ビユ」だが、これだと бию と区別がつかない。母音のない бью と母音のある бию の違いである。

 このように、硬音記号・軟音記号は、前の子音と後の母音とを切り離す。ゆえに、英語では表記不可能な「ケンイチ」という名前も、ロシア語では何の苦もなく Кэнъити と表記できる。「コンヤ」は конъя。ちなみに коня だと「コニャ」、конья だと「コニヤ」となる。

正書法

 ж、ц、ш は常に硬音(対応する軟音は存在しない)、ч と щ は常に軟音(対応する硬音は存在しない)。ゆえに、後に硬母音字 аыуэо が書かれようが軟母音字 яиюеё が書かれようが、はたまた軟音記号 ь が書かれようが書かれまいが、発音上は何の意味もない。
 г、к、х は特殊で、厳密には硬音と軟音の対応があるのだが、実際にはどちらかにほぼ限定されている。
 ではこれらの子音字の後にはどの母音字を書いてもいいかと言うと、そうではない。それが正書法の規則である。

 «正書法» とは、書き方の規則のことである。日本語で言えば、漢字の書き方・書き順、送り仮名、仮名遣い、句読点の打ち方などがこれにあたる。ロシア語の場合は、句読点の使い方と、スペルの法則である。
 日本語では、「え」と「へ」は音からしてまったく別である。ところが「日本へ」は「へ」と書いて「え」と読ませている。逆に言うと、「にほんえ」という発音を文字で書く場合には、「日本え」ではなく「日本へ」と書かなければならない。「にほんわ」という発音は文字では「日本わ」ではなく「日本は」と書く。理屈ではない(本来は理屈があったはずだが)。「こういう規則になっているからこう書かなければならない」というのが正書法というものである。
 以下、特にわれわれが覚えておくべき、語形変化にかかわりのある規則を挙げておく。

ж- ч- ш- щ-г- к- х-ц-
-а|-я-я を書いてはいけない。常に -а。
-у|-ю-ю を書いてはいけない。常に -у。
-ы|-и-ы を書いてはいけない。常に -и。語幹では ци、変化語尾では цы。
-о|-е後述。規則なし。アクセントのない -о を書いてはいけない。アクセントがなければ -е。
規則なし(現実にはほとんど存在しない)。

 すなわち、*жя というスペルは正書法上許されていない。そのため代わりに жа と書く。ちなみにこのふたつ、発音はまったく同じである。
 同じく、*гы というスペルも許されないので、代わりに ги と書く。発音は違うのだが、*гы というスペルが許されていないので、/гы/ という発音も存在しない。

 以下、少々わかりづらい点について詳述する。

 ци と цы はまったく同じ発音であるから、区別する意味がないのだが、正書法においては、語幹、すなわち単語の変化しない部分においては ци、変化語尾では цы を用いることとされている。

 ц の後に -о を書くか -е を書くかは、アクセントがあるかないかで決まる。アクセントがあれば -о|-е どちらを書いてもいいが、アクセントがない場合は -е しか許されない。

 問題は、жчшщ と оёе の関係である。

 о との関係は、ц に等しい。жчшщ の後にアクセントがない -о を書いてはいけない。アクセントがなければ常に -е。

 жчшщ+-о と жчшщ+-ё とに、発音上の違いはない。しかも ё には常にアクセントがある。ということはつまり、жчшщ+-о と жчшщ+-ё は、理屈上は互換可能だということである。ところが実際には、場面に応じてどちらでなければならないか、厳格に決まっている。すなわち、語幹では -ё、動詞の変化語尾では -ё、名詞や形容詞の変化語尾では -о。

 なお、жчшщ+-е́ は、何の制限もなく可(ただし動詞・形容詞の変化語尾にはあり得ない)。

 ということで、以上を踏まえ、жчшщгкхц と母音字との結合について、ロシア語で許されているパターンをまとめておこう(ついでに軟音記号 ь も)。

жчшщгкхц
硬音字ажачашащагакахаца
ы-------цы
ужучушущугукухуцу
э--------
ожо́чо́шо́що́гокохоцо́
軟音字я--------
ижичишищигикихици
ю--------
ежечешещегекехеце
ёжёчёшёщёгёкёхё-
ьжьчьшьщь----

 ちなみに、これ以外の子音字はすべての母音字と結合する(ただし現実には э が使われることは外来語以外にはない)。また軟音記号 ь とも結合する。

 なお、й は特殊で、どのような母音字とも記号とも結合しない。

 以上の規則は、外来語には必ずしも適用されない。йо́та、гяу́р、Цю́рих、Гёте、Хю́ндай、Кыргы́з、шокола́д、шоссе́、

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最終更新日 28 02 2015

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