ロシア皇帝と言うと «ツァーリ» という称号が思い浮かぶ方も多いだろう。
フランス皇帝を «アンペルール» と書くことはないし、ローマ皇帝を «アウグストゥス» だの «インペラトール» と呼ぶこともないのに、なぜかドイツ皇帝は «カイゼル(カイザー)» と、そしてロシア皇帝は «ツァーリ» と呼び、書くのが、日本だけではなくヨーロッパでも一般的だ。神聖ローマ皇帝もオーストリア皇帝も «カイゼル»、ブルガリア皇帝もセルビア皇帝も «ツァール» なのだが。
ちなみに、«ツァー» というのはおそらく英語。
ツァーリという称号をロシアで最初に使用したのはモスクワ大公イヴァン3世大帝。以後、その子ヴァシーリイ3世と、断続的に使用され、1547年、イヴァン4世雷帝がツァーリとして戴冠式を行う。これにより、ツァーリはモスクワ大公に代わってロシアの支配者の正式称号となった。
ただし、モスクワ大公という称号が使われなくなったわけではない。
下にイヴァン雷帝の称号をフルで紹介したが、いちいちこのすべてを書き、呼ぶのも面倒なので、一般的には «全ルーシのツァーリ Царь всея Руси» と省略される。
1721年、ピョートル1世大帝が、«インペラートル» という新しい称号を導入する。
«インペラートル» という言葉は、おそらく神聖ローマ皇帝に刺激されて導入されたものと思われるが、文字通り «皇帝» を意味する。これに対して «ツァーリ» という言葉は、語源的にはラテン語の «カエサル» がなまったものであり、ブルガリア «皇帝» やセルビア «皇帝» も使っていた言葉であって、その意味では «皇帝» と訳しても問題はないようだが、実際にはロシア語ではキプチャク・ハーンやイスラエル王(ダヴィデ)なども «ツァーリ» と呼ばれていたのでことが厄介になる。少なくとも «インペラートル» という称号を導入したピョートル大帝は、«インペラートル» と «ツァーリ» を別モノとして扱っていたわけで、それらも考え合わせると «ツァーリ» を «皇帝» と訳してしまうのもどうかと思われる。
少なくとも、ロシアで «ロシア帝国 Российская Империя» と言った場合、1721年以降を指す。
ただし、1721年以降も、下記のとおり、ツァーリという称号は «ハーン» という意味で使われ続けている。ゆえに1721年以降のロシア皇帝をツァーリと呼ぶのもあながち誤りではない。しかし一般にロシア皇帝をツァーリと呼ぶのは、そのような点を考慮してのことではなく、それ以前からの慣習である。
下記の長ったらしい称号は、一般的には «全ロシアの皇帝 Император Всероссийский» と省略される。
ロシア皇帝の称号は、厳密には、皇帝ひとりひとりで微妙に違う。新たな称号が加えられたり、表現が変わったりする。しかし全皇帝の称号を紹介しても仕方がないので、«ツァーリ時代» の代表としてイヴァン雷帝の、1721年に称号が変わった初っ端のピョートル大帝の、女性の代表としてエカテリーナ2世の、そして19世紀の代表としてアレクサンドル3世の、それぞれ称号を紹介する。
さらに厳密に言うと、同じ皇帝でも治世の始めと終わりとで微妙に違うこともあるようなのだが(特に18世紀以前)、そこまで考えていても仕方がないので一切無視する。
イヴァン雷帝
- Божиею милостью, Великий Государь Царь и Великий Князь Иван Васильевич всея Руси, Владимирский, Московский, Новгородский, Царь Казанский, Царь Астраханский, Государь Псковский, Великий Князь Смоленский, Тверской, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных, Государь и Великий Князь Новагорода Низовские земли, Черниговский, Рязанский, Полоцкий, Ростовский, Ярославский, Белоозерский, Удорский, Обдорский, Кондинский, и иных, и всея Сибирские земли и Северные страны Повелитель, и Государь земли Вифлянской и иных
- 神の恩寵により、全ルーシの、ヴラディーミルの、モスクワの、ノーヴゴロドの大君主ツァーリにして大公。カザン・ハーン。アストラハン・ハーン。プスコーフの君主。スモレンスクの、トヴェーリの、ユグラの、ペルミの、ヴャートカの、ブルガールの、その他の大公。ニージュニイ・ノーヴゴロドの、チェルニーゴフの、リャザニの、ポーロツクの、ロストーフの、ヤロスラーヴリの、ベロオーゼロの、Удорскийの、オブドーリヤの、コンディースキイの、その他の君主にして大公。全シベリア地方と北方諸国の統治者。ヴィフランドの地その他の君主。であるイヴァン・ヴァシーリエヴィチ。
ピョートル大帝 1721年以後
- Божиею поспешествующею милостию Мы Пётр Первый, Император и Самодержец Всероссийский, Московский, Киевский, Владимирский, Новгородский, Царь Казанский, Царь Астраханский, Царь Сибирский, Государь Псковский и Великий Князь Смоленский, Князь Эстляндский, Лифляндский, Корельский, Тверский, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных, Государь и Великий Князь Новагорода Низовские земли, Черниговский, Рязанский, Ростовский, Ярославский, Белоозерский, Удорский, Обдорский, Кондийский и Всея Северные страны повелитель и Государь Иверские земли, Карталинских и Грузинских царей, и Кабардинские земли, Черкасских и Горских Князей и иных Наследный Государь и Обладатель
- 神の与え給うた恩寵により、全ロシアの、モスクワの、キエフの、ヴラディーミルの、ノーヴゴロドの皇帝にして専制君主。カザン・ハーン。アストラハン・ハーン。シビル・ハーン。プスコーフの君主。スモレンスクの大公。エストランドの、リーヴランドの、カレリアの、トヴェーリの、ユグラの、ペルミの、ヴャートカの、ブルガールの、その他の公。ニージュニイ・ノーヴゴロドの、チェルニーゴフの、リャザニの、ロストーフの、ヤロスラーヴリの、ベロオーゼロの、Удорскийの、オブドーリヤの、コンディースキイの、君主にして大公。全北方諸国の統治者。イベリア地方の、カルトリとグルジアの諸王の、カバルダー地方の、君主。チェルケスと山岳諸侯その他の世襲の君主にして領有者。である朕、ピョートル1世。
エカテリーナ2世
- Божиею поспешествующею милостию Мы, Екатерина Вторая, Императрица и Самодержица Всероссийская, Московская, Киевская, Владимирская, Новгородская, Царица Казанская, Царица Астраханская, Царица Сибирская, Государыня Псковская и Великая Княгиня Смоленская, Княгиня Эстляндская, Лифляндская, Корельская, Тверская, Югорская, Пермская, Вятская, Болгарская и иных, Государыня и Великая Княгиня Новагорода Низовские земли, Черниговская, Рязанская, Ростовская, Ярославская, Белоозерская, Удорская, Обдорская, Кондийская и Всея Северные страны Повелительница и Государыня Иверские земли, Карталинских и Грузинских царей, и Кабардинские земли, Черкасских и Горских Князей, и иных Наследная Государыня и Обладательница
- 神の与え給うた恩寵により、全ロシアの、モスクワの、キエフの、ヴラディーミルの、ノーヴゴロドの女帝にして専制君主。カザン・ハーン。アストラハン・ハーン。シビル・ハーン。プスコーフの君主。スモレンスクの大公。エストランドの、リーヴランドの、カレリアの、トヴェーリの、ユグラの、ペルミの、ヴャートカの、ブルガールの、その他の公。ニージュニイ・ノーヴゴロドの、チェルニーゴフの、リャザニの、ロストーフの、ヤロスラーヴリの、ベロオーゼロの、Удорскийの、オブドーリヤの、コンディースキイの、君主にして大公。全北方諸国の統治者。イベリア地方の、カルトリとグルジアの諸王の、カバルダー地方の、君主。チェルケスと山岳諸侯その他の世襲の君主にして領有者。である、朕、エカテリーナ2世。
アレクサンドル3世
- Божиею поспешествующею милостию Мы, Александр III, Император и Самодержец Всероссийский, Московский, Киевский, Владимирский, Новгородский; Царь Казанский, Царь Астраханский, Царь Польский, Царь Сибирский, Царь Херсониса-Таврического, Царь Грузинский; Государь Псковский и Великий Князь Смоленский, Литовский, Волынский, Подольский и Финляндский; Князь Эстляндский, Лифляндский, Курляндский и Семигальский, Самогитский, Белостокский, Корельский, Тверский, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных; Государь и Великий Князь Новагорода низовские земли, Черниговский, Рязанский, Полоцкий, Ростовский, Ярославский, Белозерский, Удорский, Обдорский, Кондийский, Витебский, Мстиславский и всея Северные страны, Повелитель и Государь Иверския, Карталинския, Грузинския и Кабардинския земли и Армянские области; Черкасских и Горских Князей и иных Наследный Государь и Обладатель; Государь Туркестанский; Наследник Норвежский, Герцог Шлесвиг-Голштинский, Стормарнский, Дитмарсенский и Ольденбугрский, и прочая, и прочая, и прочая.
- 神の与え給うた恩寵により、全ロシアの、モスクワの、キエフの、ヴラディーミルの、ノーヴゴロドの皇帝にして専制君主。カザン・ハーン。アストラハン・ハーン。ポーランド王。シビル・ハーン。ケルソネス=タヴリーチェスキイ・ハーン。グルジア王。プスコーフの君主。スモレンスクの、リトアニアの、ヴォルィニの、ポドリヤの、フィンランドの大公。エストランドの、リーヴランドの、クールランドとセミガリアの、サモギティアの、ビアウィストクの、カレリアの、トヴェーリの、ユグラの、ペルミの、ヴャートカの、ブルガールの、その他の公。ニージュニイ・ノーヴゴロドの、チェルニーゴフの、リャザニの、ポーロツクの、ロストーフの、ヤロスラーヴリの、ベロオーゼロの、Удорскийの、オブドーリヤの、コンディースキイの、ヴィテプスクの、ムスティスラーヴリの、全北方諸国の、君主にして大公。イベリアの、カルトリの、グルジアの、カバルダーの地方の、そしてアルメニア州の、統治者にして君主。チェルケスと山岳諸侯その他の世襲の君主にして領有者。トゥルケスターンの君主。ノルウェーの王位継承者。シュレスヴィヒ=ホルシュタインの、シュトルマルンの、ディトマルシェンの、オルデンブルクの公。その他、その他、その他。である朕、アレクサンドル3世。
もちろん、常にこんなに多くの称号を名乗っているわけにもいかないので、簡素版もある。
- Божиею милостию Мы, NN, Император и Самодержец Всероссийский, Царь Польский, Великий Князь Финляндский и прочая, и прочая, и прочая.
- 神の恩寵により、全ロシアの皇帝にして専制君主、ポーランド王、フィンランド大公、その他、たる朕、◯◯◯。
以下、少々解説もどきを。
- Мы
- 朕、余。Мы はロシア語では一人称複数の代名詞で、通常は「われわれ」、「わたしたち」、「おれら」といった意味。しかし、ヨーロッパの言語では、君主の一人称単数には一人称複数の代名詞を使う。
- 神の与え給うた恩寵により
- 西欧の模倣で持ち込まれた枕詞。たとえばイングランドでは By the Grace of God という。
- ツァーリ
- ラテン語カエサル caesar がスラヴ語になまったもの。
最初にこの称号を使ったのはブルガリア皇帝シメオン1世(913年)。もちろんブルガリア語で。次がセルビア皇帝。
ロシアでは、モスクワ大公イヴァン3世大帝、その子ヴァシーリイ3世が断続的に使用。1547年、イヴァン4世雷帝がツァーリとして戴冠式を行い、以後モスクワ大公の称号として定着する。
ただしそれ以前から、キプチャク・ハーン、その後のカザン・ハーン、アストラハン・ハーン、クリム・ハーンなどのハーンのことをロシア語では «ツァーリ» と呼んでいた。 - 全ルーシの
- ルーシとは、端的に言ってロシア、ウクライナ、ベラルーシに分裂する前の東スラヴ人、およびその土地・国家のこと。このロシア語 всея Руси は古い格変化。
- 全ロシアの皇帝にして専制君主
- 1721年にピョートル大帝によって導入された新しい称号。一般的にはビザンティン皇帝の称号 «全ローマ人の皇帝にして専制君主» を模倣したものだと言われる。
- モスクワ、キエフ、ヴラディーミル、ノーヴゴロド、プスコーフ、スモレンスク、チェルニーゴフ、リャザニ、ポーロツク、ロストーフ、ヤロスラーヴリ、ベロオーゼロ、ヴィテプスク、ムスティスラーヴリ
- ロシア・ウクライナ・ベラルーシの古くからの都市(国家)。
- ニージュニイ・ノーヴゴロド
- これもロシアの古くからの都市(国家)。ただしこのロシア語 Новагород низовские земли は古形(格変化も)。この言葉を直訳すると «下流地方の新都市(ノーヴゴロド)» とでもなるだろう。
- カザン、アストラハン、シビル
- タタールの国家。いずれも16世紀後半、イヴァン4世雷帝により征服された。その君主の称号は、日本語ではハーンだが、ロシア語では «ツァーリ» である。
- ポーランド
- 1815年にヴィーン会議でつくられた «会議王国»。その王はロシア皇帝が兼任する。その正式称号はロシア語では Царь Польский となる。
- ヘルソネス=タヴリーチェスキイのツァーリ
- クリム・ハーンのこと?
- リトアニア
- 1795年の第3次ポーランド分割で、ロシアはリトアニアのほとんどを併合した。
- ヴォルィニャ、ポドリヤ
- ヴォルィニとポドリヤは、13世紀まではルーシの一部であったが、最西端に位置したため、その後ポーランドやハンガリーに侵食されていった。ポーランド分割で暫時ロシア領に。
- フィンランド
- フィンランドは1809年、スウェーデンより奪取してロシア領に。しかし完全に併合したわけではなく、ロシア皇帝がフィンランド大公を兼ねる同君連合の形式を取った。
- エストランド
- エストランドは «エスト人の土地»。現エストニア北部。13世紀、デンマークに占領される。1346年、リヴォニア騎士団が買収。1561年、スウェーデン領に。1721年、ニスタット条約でロシア領に。
- リーヴランド
- リーヴランドは «リーヴ人の土地»。ほぼ狭義のリヴォニアに相当する(広義のリヴォニアはエストランド、リーヴランド、クールランドを含む)。現在のエストニア南部・ラトヴィア北部。13世紀にリヴォニア騎士団に征服される。1561年、(広義の)リヴォニアが解体。エストランドはスウェーデン領に、クールランドはポーランド領に、そしてリーヴランドはリトアニア領になった。1629年にスウェーデンに征服される。1721年、ニスタット条約でロシア領に。
- クールランド・セミガリア
- クールランドは «クール人の土地»。現ラトヴィアの南西部。13世紀にリヴォニア騎士団に征服される。1561年にリヴォニアが解体すると、リヴォニア騎士団はクールランドを本拠に世俗化して、クールラント・セミガリア公領が成立(主君はポーランド王)。1795年、第3次ポーランド分割に際してロシアに併合される。
- サモギティア
- サモギティアは西部リトアニアの «低地地方»。13世紀にリトアニアが統一されると、東部 «高地地方» と統合される。15世紀初頭、一旦はドイツ騎士団領となるが、すぐにリトアニアに再統合される。1795年の第3次ポーランド分割でロシア領に。19世紀までは一定程度の自治が認められていた。
- ビアウィストク
- ビアウィストクは東ポーランドの都市。歴史的因縁はよくわからない。
- カレリア
- もともとロシア北西部に広く住んでいたフィン系民族のうち、デンマークに征服されたのがエストニア人、スウェーデンに征服されたのがフィンランド人、ノーヴゴロドの支配下に入ったのがカレリア人、と言っておこう。
- ユグラ、ペルミ、ヴャートカ、ブルガール、Удорский、オブドーリヤ、コンディースキイ
- いずれも、モスクワ大公国が東方・北方に勢力を拡大していく中で征服した土地や民族。
ユグラとは今日のハーントィ人、マーンシ人のこと。ここではあるいはかれらの住んでいた地域のことを指しているのかとも思われる。
ヴャートカ(正確にはヴャーツカヤ・ゼムリャー «ヴャートカの地»)とは、ヴャートカ河流域。ペルミャーク(コミ)、ヴォテャーク(ウドムルト)、さらにはチェレミス(マリ)といった少数民族が住んでいた。
ブルガールとは現タタルスターンにあったブルガール・ハーン国。
オブドーリヤとはオビ河下流域。1501年、クールブスキイ公とウシャコーフとがこの地域を平定し、イヴァン3世が称号に組み込んだ。
コンディースキイ/コンディンスキイ(文献によって違うことがある)とは、イルトィシュ河の支流コンダ河を指している。おそらくその流域のことだろう。だから「コンディースキイ」というカタカナ表記はおかしいのだが、コンダ河そのものを指しているわけでもないので「コンダ」とするわけにもいかず、とりあえずこう表記しておく。
具体的に何を指しているか判然としないものもあるが、これらはおおよそウラル山脈の東西にわたって広がる非ロシア系民族の居住地域に相当すると考えられる。 - 北方諸国
- これが具体的に何を意味するかはわからないが、ロシア語では通常 «北方諸民族» と言うと、北極圏および極東に住む、主に狩猟採集を営む少数民族を指す。おそらくその居住地のことではないだろうか。
- イベリア
- グルジア東部。
- カルトリ
- Карталинский と言っているが、おそらくいわゆるカルトリ。大雑把に言って、現在のグルジアは1800年頃まで複数の国に分裂していたが、カルトリはそのうちのひとつ。
- カバルダー
- 北カフカーズのイスラーム系民族。16世紀にロシアに併合された。
- チェルケス
- チェルケスは、カバルダーを含む北カフカーズのイスラーム系諸民族の総称。狭義にはカバルダーと同系の少数民族。16世紀にロシアに併合された。
- 山岳諸侯
- 北カフカーズのカフカーズ系、テュルク系諸民族の首長のこと。
- ノルウェーの王位継承者
- ノルウェーは15世紀以来デンマーク領だったが、ロシアにフィンランドを奪われたスウェーデンに、代償として与えられる。いかなる権利からロシア皇帝が «ノルウェーの王位継承者» を自称したか不明。
- シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、シュトルマルン、ディトマルシェン、オルデンブルク
- シュレスヴィヒ公領はユトランド半島の付け根に位置するデンマーク領(デンマーク語ではスリースウィー)。ホルシュタイン公領はその南方のエルベ河口部に位置するドイツ領。どちらも15世紀以来デンマーク王領。そのためデンマーク王家の分家がシュレスヴィヒとホルシュタインのあちこちに領土をもらい、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン公を名乗った。
このような分家は大きくふたつの系統があり、そのひとつがシュレスヴィヒ公領にある都市ゴットルプ(ドイツ語ではゴットルフ)を首都としたシュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公家。皇帝ピョートル3世は本来ロシア皇帝である以前にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公である。ただし領土そのものは1773年にデンマーク王に譲った。
ホルシュタイン公領は大きくホルシュタイン、ディトマルシェン、シュトルマルン、ヴァグリエンの4地域に分けられる。
オルデンブルクはドイツのニーダーザクセン州にある都市。デンマーク王家(つまりはピョートル3世以降のロマーノフ家)の祖先がかつてここの伯を名乗っていた。1773年に皇帝パーヴェルはシュレスヴィヒ=ホルシュタインにある領土をデンマーク王に譲渡。代わりにオルデンブルクの地をもらい、さらにそれを大叔父に譲渡。以後この大叔父とその子孫はオルデンブルク公(大公)を名乗った。