ミハイール・ミハイロヴィチ・クールブスキイ
Михаил Михайлович Курбский "Карамышев"
公 князь
ボヤーリン боярин (1540-)
生:?
没:1546
父:ミハイール・フョードロヴィチ・クールブスキイ公 (フョードル・セミョーノヴィチ・クールブスキイ公)
母:?
結婚:
& マリーヤ (ミハイール・トゥーチコフ=モローゾフ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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マリーヤ・ミハイロヴナと | ||||||
1 | アンドレイ | 1528-83 | アレクサンドラ・セマーシュコ | |||
2 | イヴァン | |||||
3 | ロマーン | |||||
4 | ? | ミハイール・フョードロヴィチ・プローゾロフスキイ公 | (ヤロスラーヴリ系) |
第21世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
1522年にトローペツ代官。その後数年にわたりカザン・ハーン国との戦闘に従事する。
1534年、ノーヴゴロドに派遣されてリトアニアとの戦いに従軍する。
1535年にはブリャンスク(対クリム・ハーン)、1536年にはニージュニイ・ノーヴゴロド(対カザン・ハーン)それぞれの防衛に派遣される。
その後もヴラディーミル、ムーロム、コロームナで総督・軍司令官を歴任した。