ミハイール・イヴァーノヴィチ・クベンスキイ
Михаил Иванович Кубенский
公 князь
ボヤーリン боярин (1539-)
生:?
没:1550
父:イヴァン・セミョーノヴィチ・クベンスキイ公 (クーベナ公セミョーン・ドミートリエヴィチ)
母:ウリヤーナ (ウーグリチ公アンドレイ・ヴァシーリイエヴィチ・ゴリャーイ)
結婚:?
子:?
第20世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
記録には1517年から登場。モスクワ大公ヴァシーリイ3世の下で軍司令官として活躍し、1523年にはオコーリニチイ(ボヤーリンに次ぐ宮廷内の地位)とされる。
その後もカザン・ハーン国、リトアニア、クリム・ハーン国との戦いで軍司令官として活躍した。1530年にはカザンに侵攻。1533年にはプスコーフ総督としてリトアニア侵攻の準備にあたり、1535年にはウグラ河畔に軍を率いる。1538年からは毎年のようにコロームナに派遣され、あるいはタタールからの防衛、あるいはタタールへの侵攻を担当する。
しかし1547年にイヴァン雷帝が親政を開始してからは、前線への出動はなくなる。1547年と48年にイヴァン雷帝が親征した際には、いずれもモスクワに «留守居役» として残され、ツァーリの家族と財産の保護を委ねられた。