リューリク家人名録

グリゴーリイ・ペトローヴィチ・シャホフスコーイ

Григорий Петрович Шаховской

князь

生:?
没:?

父:ピョートル・アンドレーエヴィチ・シャホフスコーイ公 (アンドレイ・アレクサンドロヴィチ・シャホフスコーイ公)
母:?

結婚:?

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
母親不詳
ピョートル
アファナーシイ

第22世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。ロシア貴族。もっとも、系図は必ずしもはっきりせず、祖父についても異説がある(父がピョートルであるのは間違いない)。

 1587年、ポーランドの虜囚生活から帰還。ということは、リヴォニア戦争でポーランドの捕虜になっていたものと思われる。

 1596年にトゥーラ総督に任じられたのを始め、以後南方にて総督や軍司令官を歴任。

 1604年に偽ドミートリイ1世が南西ロシアに侵攻してくると、おそらく偽ドミートリイ1世側に寝返ったものと思われ、1605年には偽ドミートリイ1世とともにモスクワに入城している。

 1606年、偽ドミートリイ1世を廃してツァーリとなったヴァシーリイ・シュイスキイにより、プティーヴリ総督に任じられた。しかし、すでに長年にわたって勢力を培ってきた南方に戻るや否や、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公はヴァシーリイ・シュイスキイに対する反抗を準備する。まさにそこに、イヴァン・ボロートニコフが登場した。
 イヴァン・ボロートニコフはポーランドで «ドミートリイ・イヴァーノヴィチ» を(あるいはその代官を)自称するミハイール・モルチャーノフからの協力要請の書簡を携えていたが、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公はこれを利用。ホロープ(奴隷)出身のボロートニコフにホロープや農民を結集させ、ヴァシーリイ・シュイスキイに対して蜂起した。
 この蜂起には、イヴァン・ボロートニコフの元の持ち主とも言われるアンドレイ・テリャーテフスキイ公、リャザニのリャプノーフ兄弟、トゥーラのイストーマ・パシュコーフなどの貴族やコサックなども加わり、一大勢力となって北上した。秋にはモスクワを攻囲している。
 しかし蜂起軍は、一方では貴族、他方では農民やコサックから成る混成軍であり、内部不和が絶えなかった。そのためリャプノーフ兄弟やパシュコーフはヴァシーリイ・シュイスキイ側に寝返り、叛乱軍はモスクワ郊外から撃退される。
 窮余の策として、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公は «ツァレーヴィチ・ピョートル» と手を結ぶ。プティーヴリにてグリゴーリイ・ペトローヴィチ公とツァレーヴィチ・ピョートルが合流すると、これにさらにドン、テレクやザポロージエのコサックまでもが加わり、叛乱軍の陣容は強化された。
 1607年、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公とツァレーヴィチ・ピョートルは北上を開始。トゥーラに拠点を構え、カルーガのボロートニコフ軍とともにモスクワを伺う情勢をつくりあげた。しかし、ここでも貴族と農民・コサックの対立が激化し、叛乱軍は弱体化。偽ドミートリイ2世が出現したこともあって叛乱の鎮圧を急いだヴァシーリイ・シュイスキイは、カルーガを陥落させると、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公、ツァレーヴィチ・ピョートル、ボロートニコフの立てこもるトゥーラの攻囲に自ら乗り出す。
 4ヶ月に及ぶ攻囲戦の末、叛乱軍は降伏。ボロートニコフとツァレーヴィチ・ピョートルは処刑され、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公は白海近郊の修道院に追放された。

 偽ドミートリイ2世は1608年にはモスクワ近郊のトゥーシノに独自政権を樹立し、その麾下のポーランド人部隊やコサックが北ロシアを荒らしまわっていた。その最中、グリゴーリイ・ペトローヴィチ公も救出され、トゥーシノ政権のボヤーリンとなった。さらに偽ドミートリイ2世軍のロシア人部隊の指揮を委ねられたが、トゥーシノ政権の退潮傾向は如何ともしがたく、1609年にはミハイール・スコピーン=シュイスキイ公に敗北。偽ドミートリイ2世とともにカルーガに逃亡した。おそらく、その後1610年に偽ドミートリイ2世が死ぬまで行動をともにしたものと思われる。
 1611年には、第一次国民軍に手持ちのコサックを率いて参加している。偽ドミートリイ2世死後は南方に戻り、かつてのつてでコサックを糾合していたのだろう。
 第二次国民軍では、ドミートリイ・トルベツコーイ公ドミートリイ・ポジャールスキイ公の対立を画策したりもしている。

 1612年を最後に記録から姿を消す。このため一般に、1612年に死んだものと考えられている。

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最終更新日 30 11 2012

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