フョードル・ヴァシーリエヴィチ
Федор Васильевич
ヤロスラーヴリ公 князь Ярославский (1426-34)
生:?
没:1434頃
父:ヤロスラーヴリ公ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ (ヤロスラーヴリ公ヴァシーリイ雷眼公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | アレクサンドル | -1471 | ヤロスラーヴリ |
第17世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。
生年は不明だが、父の生年が1339年とされているので、おそらくフョードル・ヴァシーリエヴィチの生年は1370年前後といったところではないだろうか。
父の没年は不明。ヤロスラーヴリ公位は兄イヴァン・ヴァシーリエヴィチが継いだ。おそらくこの時、フョードル等弟たちは分領を分け与えられたものと思われるが、フョードル・ヴァシーリエヴィチの分領はわからない。
1426年、兄が死去。フョードル・ヴァシーリエヴィチがヤロスラーヴリ公位を継いだ。ただし公としての事績はよくわからない。モスクワ大公位を巡るヴァシーリイ2世とガーリチ公ユーリイ・ドミートリエヴィチとの対立では、ヴァシーリイ2世を支持していた。このため、1433年に両者間に戦端が開かれると、ユーリイの息子たちに真っ先に攻撃を受けている。