フョードル・ミハイロヴィチ
Федор Михайлович
モローガ公 князь Моложский (1362-1408)
生:?
没:1408.04.06
父:モローガ公ミハイール・ダヴィドヴィチ (ヤロスラーヴリ公ダヴィド・フョードロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ヴァシーリイ | モローガ | ||||
2 | ドミートリイ | モローガ | ||||
3 | セミョーン | シーティ | ||||
4 | イヴァン | プローゾロヴォ | ||||
5 | フェオドーラ? | アレクサンドル・イヴァーノヴィチ | 1379-1425 | トヴェーリ大公 |
第16世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。
父の死でモローガを相続する。この時、なぜか弟たちには分領が与えられなかったらしい。分割相続を廃して長子一括相続に移行したのかと思えば、フョードル・ミハイロヴィチの子らは遺領を分割しているので、そういうことではないようだ。
フョードル・ミハイロヴィチは、当時のほかの北東ルーシ諸公と同様に、モスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイに事実上従属した。
1375年、ドミートリイ・ドンスコーイに従い、トヴェーリに遠征。1380年には弟イヴァンとともにクリコーヴォの戦いに従軍(イヴァンは戦死)。1386年にもノーヴゴロド遠征に従軍している。