ヤロポルク・イズャスラーヴィチ
Ярополк Изяславич
ブージュスク公 князь Бужский
生:?
没:1169
父:ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公イジャスラーフ・ムスティスラーヴィチ (キエフ大公ムスティスラーフ偉大公)
母:アグネス (神聖ローマ皇帝コンラート3世)
結婚:1166
& マリーヤ公女 1149-89 (ノーヴゴロド=セーヴェルスキイ公スヴャトスラーフ・オーリゴヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
---|---|---|---|---|---|---|
マリーヤ・スヴャトスラーヴナと | ||||||
1 | ヴァシリコ |
第10世代。モノマーシチ(ヴォルィニ系)。洗礼名ステファン?
イジャスラーヴィチ兄弟のうち、ムスティスラーフ、ヤロスラーフ、名前不明の娘(ポーロツク公ローグヴォロド・ボリーソヴィチの妻)の3人は、1140年代半ばにはある程度の年齢になっていたと思われる。ムスティスラーフもヤロスラーフも1146年に分領を与えられているし、名前不明の娘も1144年(?)に結婚している。他方、エヴドキーヤの結婚は1154年頃と見られるし、ヤロポルクに至ってはいつ分領をもらったかわからず、結婚は1166年のことである。
この事実から常識的に想像すると、先の3人は1130年前後、遅くてその前半の生まれ、後の2人は1140年頃、あるいはヤロポルクなどは1150年頃の生まれかもしれない(もっともエヴドキーヤの生年を1131年頃としている文献もある)。
1150年頃は極端だとしても、ヤロポルク・イジャスラーヴィチがかなり年の離れた末弟だったと推測しても、あながち誤りではあるまい。