イジャスラーフ・グレーボヴィチ
Изяслав Глебович
生:?
没:1184
父:ペレヤスラーヴリ公グレーブ・ユーリエヴィチ (ロストーフ=スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキー)
母:? (チェルニーゴフ公イズャスラーフ・ダヴィドヴィチ)
結婚:?
子:?
第10世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。
生年は不明。両親の結婚が1156年で兄ヴラディーミルが1157年に生まれたと考えられているので、イジャスラーフの誕生は1160年頃だろう。
誕生当時、父はペレヤスラーヴリ公。イジャスラーフ・グレーボヴィチもおそらくはペレヤスラーヴリで生まれ育ったのだろう。
1169年には父がキエフ大公となる。ペレヤスラーヴリには兄ヴラディーミル・グレーボヴィチが公として残されたが、イジャスラーフ・グレーボヴィチはキエフに伴われたのか、それともペレヤスラーヴリに残されたのか。いずれにせよ、1171年には父が死んでいるので、おそらくその後はペレヤスラーヴリに住んだのだろう。
叔父のヴラディーミル大公フセーヴォロド大巣公は、祖父ユーリー・ドルゴルーキー、伯父アンドレイ・ボゴリューブスキー同様、本領北東ルーシを一族に分割しようとしなかった。甥であったイジャスラーフ・グレーボヴィチも、特に北東ルーシに分領を与えられた形跡はない。
とはいえ、いずれかの時期に北東ルーシに移り住んでいたようである。1184年、フセーヴォロド大巣公に従いヴォルガ・ブルガールに遠征。しかしヴォルガ・ブルガールの首都まで攻め込んだところでイジャスラーフ・グレーボヴィチは戦死した。
ヴラディーミルに葬られている。