イヴァン・フョードロヴィチ
Иван Федорович
スタロドゥーブ公 князь Стародубский (1355-63)
生:?
没:?
父:スタロドゥーブ公フョードル・イヴァーノヴィチ (スタロドゥーブ公イヴァン・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第14世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。
兄ドミートリー・フョードロヴィチの死でスタロドゥーブを継いだものと思われる。すぐにサライに伺候し、ジャーニーベクから公位を確認してもらった。
1359年、ヴラディーミル大公であったモスクワ公イヴァン赤公が死去。遺児ドミートリー・ドンスコーイが幼かったこともあって、ヴラディーミル大公位はスーズダリ公ドミートリー・コンスタンティーノヴィチが継いだ。しかしモスクワのボヤーリンたちはサライに伺候し、1363年にはドミートリー・ドンスコーイに大公位を与えるハーンの認可状を取り付けた。
以後、ふたりのドミートリーの間にヴラディーミル大公位を巡る争いが勃発するが、イヴァン・フョードロヴィチはスーズダリ公の側を支持する。このため、イヴァン・フョードロヴィチは1363年、ドミートリー・ドンスコーイによりスタロドゥーブから追われた。公位は弟のアンドレイ・フョードロヴィチに与えられた。
イヴァン・フョードロヴィチはその後、ニージュニー・ノーヴゴロド公アンドレイ・コンスタンティーノヴィチ(ドミートリー・コンスタンティーノヴィチの兄)に仕えた。