リューリク家人名録

フョードル・イヴァーノヴィチ «ブラゴヴェールヌィー»

Федор Иванович "Благоверный"

スタロドゥーブ公 князь Стародубский (1315-30)

生:?
没:1330

父:スタロドゥーブ公イヴァン・カリストラートスタロドゥーブ公ミハイール・イヴァーノヴィチ
母:?

結婚:?

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
母親不詳
1ドミートリー-1355スタロドゥーブ
2イヴァンスタロドゥーブ
3アンドレイスタロドゥーブ

第13世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。

 サライにて、ハーンの命により殺された。ただし年代記はその事実を伝えるだけで、状況については一切口をつぐんでいる。
 «ブラゴヴェールヌィー» という添え名(「良き信の」という、聖者の称号)が与えられているということは、キリスト教のゆえに殺されたと考えられていたということだろう。とはいえ、リャザニ大公ロマーン・オーリゴヴィチにしてもそうだが、真の理由は別にあるのに、サライで殺されたからということで「信仰のゆえに死んだ」と曲解された可能性は否定できない。
 サライでは、1325年にはモスクワ公ユーリー・ダニイーロヴィチトヴェーリ公ドミートリー雷眼公に殺され、そのドミートリー雷眼公も1326年にはハーンにより処刑されている。1339年にも、モスクワ公イヴァン・カリターとの争いの結果、トヴェーリ公アレクサンドル・ミハイロヴィチがサライで処刑された。このような時代状況を考えてみると、まさかフョードル・イヴァーノヴィチがヴラディーミル大公位を巡って争っていたとも思えないが(それほどの大物ではない)、しかしモスクワとトヴェーリの権力闘争に巻き込まれたという可能性もあるのではないだろうか。

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最終更新日 02 02 2012

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