ボリース・ミハイロヴィチ
Борис Михайлович
モスクワ公 князь Московский (1248-63)
生:?
没:1263
父:モスクワ公ミハイール・ヤロスラーヴィチ・ホローブリト (ヴラディーミル大公ヤロスラーフ・フセヴォローディチ)
母:?
結婚:?
子:?
第12世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。
父の生年はよくわからないが、1229年とする文献もある。1220年代か30年代の生まれであることは間違いなく、当然その子ボリース・ミハイロヴィチの生年は1230年代ではあり得ない。つまり父は、死んだ時にもまだ若年だったはず(1229年誕生説が正しければ、19歳)。ボリース・ミハイロヴィチはまず間違いなく生まれたばかり、せいぜい10歳にも満たない幼年だった。
父は叔父(ボリース・ミハイロヴィチの大叔父)スヴャトスラーフ・フセヴォローディチからヴラディーミル大公位を奪っており、当時はヴラディーミル大公領内に一族間の紛争があったわけだが、ボリース・ミハイロヴィチは順当に父の分領モスクワを継承できたのだろうか。
いずれにせよ、ボリース・ミハイロヴィチについてはほとんど何もわかっていない。おそらく死んだ時点でもまだ20歳にもなっていなかっただろうから、それも無理はなかろう。