ヴラディーミル・アンドレーエヴィチ・ミクーリンスキー
Владимир Андреевич Микулинский
公 князь
ボヤーリン боярин
生:?
没:1509
父:ミクーリン公アンドレイ・ボリーソヴィチ (ミクーリン公ボリース・アレクサンドロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:なし
第19世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。モスクワ大公の勤務公。
アンドレーエヴィチ兄弟の生年は不明だが、単純に考えると1460年代から70年代か。
父は1485年にトヴェーリ大公領がモスクワに併合された際に、自身の分領を失い、モスクワ大公イヴァン3世の勤務公となっている。ボヤーリンとされたのだから厚遇されたと言えるだろう。
この時点ではヴラディーミル・アンドレーエヴィチはまだ若かったと想像されるが、父の死がいつかは不明だが、すでに1480年代末から父に代わってヴラディーミル・アンドレーエヴィチの名が年代記などに散見されるようになる。
1489年、ヴャートカ遠征。
1492年にはノーヴゴロド=セーヴェルスキーに遠征(一族のダニイール・ホルムスキー公の指揮下で)。この結果、1494年にリトアニアと結んだ条約で、モスクワは上流諸公(オーリゴヴィチ)への宗主権をリトアニアに認めさせた(ノーヴゴロド=セーヴェルスキー自体がモスクワ領となるのは1503年)。
その後も主に西方でリトアニアとの戦闘に従事。
1506年、カザン遠征に従軍。