ミハイール・ドミートリエヴィチ
Михаил Дмитрьевич
ホルム公 князь Холмский (-1485)
生:?
没:?
父:ホルム公ドミートリー・ユーリエヴィチ (ホルム公ユーリー・フセヴォローディチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ヴァシーリー | ||||||
イヴァン | ||||||
1 | ユリアーニヤ | -1504 | ヴォロク公ボリース | 1449-94 | モスクワ大公ヴァシーリー2世盲目公 |
第17世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
ホルム最後の分領公。
生年は不明。父がいつ死んだかもよくわかっていないが、父の死後ホルム公位を継いだものと思われる。
1485年、モスクワに赴きイヴァン3世に臣従。しかしイヴァン3世はミハイール・ドミートリエヴィチを受け入れなかった。おそらくすでにトヴェーリ大公領全土を併合するハラを固めていたからだろう。
この年のうちにイヴァン3世はトヴェーリに侵攻してこれを併合する。この時モスクワ側に寝返ったトヴェーリ貴族のひとりとして、年代記はミハイール・ドミートリエヴィチの名を挙げている。
その後はモスクワ大公の総督・軍司令官として活躍したらしい。