トヴェーリ系

ヴラディーミル系モノマーシチの一系統。アレクサンドル・ネフスキー(11)の弟ヤロスラーフ・ヤロスラーヴィチ(11)に始まる。

 ヴラディーミル大公領の西部を領有し、ノーヴゴロドやリトアニアとの最前線に位置しており、キプチャク・ハーンからも遠かったことから、終始尖鋭な反タタール路線を採った。
 また、始祖ヤロスラーフ・ヤロスラーヴィチ(11)が兄とヴラディーミル大公位を争ってこれを獲得したことに象徴されるように、アレクサンドル・ネフスキーの子らが死んだ後、最も執拗にヴラディーミル大公位を狙った一族でもある。確かに、ヴラディーミル大公位にふさわしい実力も備えていた。もっとも、実際にヴラディーミル大公位をかなりな頻度で獲得できた背景には、ほかの系統に有力な候補者がいなかったという事情もある。
 そのトヴェーリ公一族にとって、最大のライバルとなったのがモスクワ系である。すでにミハイール・ヤロスラーヴィチ(12)の晩年には激しく対立していたが、ミハイロヴィチ兄弟(13)、特に上のふたりは生涯にわたってモスクワ公との敵対関係に苦しめられた。ところが、ミハイロヴィチ兄弟(13)の下のふたりは、逆に、モスクワ公にむしろ従属的な立場を採った。これはひとつには、一族間の内紛に悩まされたためである。
 14世紀半ばの内紛後、トヴェーリ公位は、ミハイール・アレクサンドロヴィチ(14)、イヴァン・ミハイロヴィチ(15)、ボリース・アレクサンドロヴィチ(17)と継承された。かれらは伝統的な反モスクワ政策を継承し、リトアニアやノーヴゴロドと結んだ。しかしこの継承ラインから弾き飛ばされた傍系の諸公は、逆にモスクワ公と結ぶことで歴代トヴェーリ公に対抗する。トヴェーリ系は、大きくドロゴブージュ系、カーシン系、ホルム系、ミクーリン系に分かれるが、トヴェーリ公との対立が特段伝えられていないのはミクーリン系だけで、カーシン系とホルム系は特に激しく歴代トヴェーリ公と対立した。そのため、かれらは早くからモスクワ公の、事実上の勤務公となっている。
 1485年にトヴェーリはモスクワ大公領に併合され、トヴェーリ系諸公は自前の分領を失った。本家のミハイール・ボリーソヴィチ(18)はリトアニアに亡命したが、分家の諸公はいずれもモスクワ大公の勤務公となった。その後何世代か続いているものもあるが、いずれの系統もロマーノフ家の登極までには姿を消している。

 以下、スタイルシートで家系図を示す。環境次第では(正確に)表示されない。悪しからず。(正確に)表示されない場合は、こちらの画像を。
 赤枠はトヴェーリ公、緑色枠はドロゴブージュ公、黒枠はカーシン公、水色枠はホルム公、ピンク枠はミクーリン公。

(11)
(12)
(13)
(14)
(15)
(16)
(17)
イヴァン
チェルニャティンスキー家
(18)
ホルムスキー家
ホルムスキー家
ドロゴブージュスキー家
(19)
ヴァトゥーティン家
(20)

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最終更新日 03 05 2013

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