ユーリー・イヴァーノヴィチ・カーシン=オボレーンスキー
Юрий Иванович Кашин(-Оболенский)
公 князь
ボヤーリン боярин (1557-)
生:?
没:?
父:イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・カーシン公 (ヴァシーリー・ヴラディーミロヴィチ・オボレーンスキー公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ドミートリー |
第20世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。
1540年代、スーズダリ、コロームナ、メシチェラー、ロストーフなどで、対カザン・ハーン戦に従事。当然、1552年のカザン遠征にも従軍し、胸を負傷している。
その後も東方で «まつろわぬ» 諸民族対策に従事。
1550年代後半から南方にまわされ、対クリミア・タタール対策に従事。トゥーラ、セールプホフ、トルーサ、カルーガなどで軍を率いる。
アンドレイ・ミハイロヴィチ・クールブスキー公によると、イヴァン雷帝の命令で「切り殺された」らしい。