ヤーコフ・フョードロヴィチ・ドルゴルーキー
Яков Федорович Долгорукий
公 князь
生:1639
没:1720
父:フョードル・フョードロヴィチ・ドルゴルーキー公 (フョードル・イヴァーノヴィチ・ドルゴルーキー公)
母:?
結婚:?
子:?
第24世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。
ピョートル大帝がツァーリになる前から親しく、その側近中の側近。1682年、ツァーリ・フョードル3世が死んだ時には、公然とピョートル側に立つ。1687年、大使としてフランスとスペインに送られる。
1689年、ツァレーヴナ・ソフィヤ・アレクセーエヴナが失権してピョートルが権力を握ると、ヤーコフ・フョードロヴィチも活躍を始める。1695年と96年にアゾーフ遠征。1700年、ナルヴァでスウェーデン軍に捕らえられ、10年を捕虜として過ごす。1710年、脱走。