リューリク家人名録

イヴァン・セルゲーエヴィチ・バリャーティンスキー

Иван Сергеевич Барятинский

князь

生:1738・40.02.27/03.09
没:1811.12.23/1812.01.03−モスクワ

父:セルゲイ・イヴァーノヴィチ・バリャーティンスキー公イヴァン・フョードロヴィチ・バリャーティンスキー公
母:マーヴラ・アファナーシエヴナ・ステパーノヴァ

結婚:1767
  & カタリーナ 1750-1811 (ロシア元帥シュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ベック公ペーター・アウグスト)

結婚:
  & アナスタシーヤ・ビビコヴァ

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
エカテリーナ・ペトローヴナ公女と
1イヴァン1767-1826
2アンナ1774-1825ニコライ・アレクサンドロヴィチ・トスルトーイ伯
アナスタシーヤ・ビビコヴァと(姓はビビティンスキー)
1ヴァシーリー
2アナスタシーヤ1797-1866ボリース・ミハイロヴィチ・ザグリャシュスキー1785-1825
ゲンナーディー・ヴラディーミロヴィチ・グルードネフ1796-1895
3エリザヴェータ1798-1824ドミートリー・ニコラーエヴィチ・カーメンスキー1788-1850

第27世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。

 7年戦争に従軍。1758年、ツォルンドルフでプロイセンの捕虜となる。

 エカテリーナ2世によると、1762年、皇帝ピョートル3世エカテリーナ逮捕をイヴァン・セルゲーエヴィチ公に命令。驚いたイヴァン・セルゲーエヴィチ公がホルシュタイン公(ピョートル3世の親族で、当時ロシア軍に勤務)に知らせ、ホルシュタイン公がピョートル3世を説得して命令を取り消させたという。
 弟のフョードル・セルゲーエヴィチ公はガチガチのエカテリーナ派。イヴァン・セルゲーエヴィチ公とフョードル・セルゲーエヴィチ公は兄弟仲が良かったものの、イヴァン・セルゲーエヴィチ公は最後までクーデタ計画を知らず、ピョートル3世に忠実に仕えていた(クーデタ計画自体が極秘だったためだろう)。

 あるいは弟のコネも手伝ってか、エカテリーナ2世治下でも要職を歴任。皇太子パーヴェル・ペトローヴィチ大公付きの武官にも任命されていた。
 パーヴェル・ペトローヴィチ大公の結婚とともに、パリ駐在大使として派遣される(1773-85)。
 1786年、陸軍少将で退役。

 パーヴェル・ペトローヴィチは皇帝となってもイヴァン・セルゲーエヴィチ公のことを忘れず、何くれとなく贔屓にしたという。

 ちなみに、アナスタシーヤ・ビビコヴァとの結婚は秘密結婚であり、二重結婚。

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