アレクセイ・グリゴーリエヴィチ・ドルゴルーキー
Алексей Григорьевич Долгорукий
公 князь
生:?
没:1734−ベリョーゾフ
父:グリゴーリー・フョードロヴィチ・ドルゴルーキー公 (フョードル・フョードロヴィチ・ドルゴルーキー公)
母:?
結婚:
& プラスコーヴィヤ公女 -1730 (ユーリー・ヒルコーフ公)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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プラスコーヴィヤ・ユーリエヴナと | ||||||
イヴァン | 1708-39 | |||||
エカテリーナ | 1712-45 | ヤーコフ・ヴィリーモヴィチ・ブリュース伯 | ||||
アレクサンドル・ロマーノヴィチ・ブリュース伯 | ||||||
ニコライ | 1713-90 | ナターリヤ・セルゲーエヴナ・ゴリーツィナ公女 | 1715-55 | (ゲディミノヴィチ) | ||
アンナ・アレクサンドロヴナ・ブレディーヒナ | 1733-1808 | |||||
エレーナ | 1715-99 | ユーリー・ユーリエヴィチ・ドルゴルーキー公 | -1746 | (リューリコヴィチ) | ||
アレクセイ | 1716-92 | |||||
アレクサンドル | 1718-82 |
第25世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。
スモレンスク知事。
1726年、メーンシコフ公の推挙で、エカテリーナ1世にピョートル・アレクセーエヴィチ(2世)の養育係に任じられた。
1727年、ピョートルが即位すると、メーンシコフ公と仲違いし、かれをシベリア送りに。1729年、ピョートルと娘エカテリーナを婚約させる。
1730年、ピョートル死後の最高秘密評議会にて、アンナ・イヴァーノヴナの即位に反対した唯一のメンバー(娘エカテリーナの即位を主張した)。アンナ・イヴァーノヴナ即位後、ベリョーゾフに流刑された。