ピョートル・イヴァーノヴィチ・シュイスキイ
Петр Иванович Шуйский
公 князь
ボヤーリン боярин (1550-)
生:?
没:1564
父:イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・シュイスキイ公 (ヴァシーリイ・フョードロヴィチ・シュイスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | -1588 |
第20世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。ロシア貴族。
1547年のカザン遠征に従軍。以後、一瞬(1550年)プスコーフ代官に任命されたほかは、基本的に対カザン・ハーン国戦線に従事。カザン代官(1553-57)。
その後は西部で対リトアニア戦線に従事。リヴォニア戦争で軍を指揮し、ポーロツク代官(1563)。
1564年、リトアニア軍に敗北。乗馬を失ったピョートル・イヴァーノヴィチは徒歩で戦場を離れ、近隣の村に逃げ込んだものの、村の住民に殺された。遺骸はヴィリニュスに運ばれて、当地で埋葬されたらしい。