イヴァン・ヴァシーリエヴィチ «ゴルバートィー»
Иван Васильевич "Горбатый"
スーズダリ公 князь Суздальский (-1458)
生:?
没:?
父:シューヤ公ヴァシーリー・セミョーノヴィチ (ニジェゴロド=スーズダリ大公セミョーン・ドミートリエヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | |||||
2 | アンドレイ | |||||
3 | ボリース | |||||
4 | ヴァシーリイ |
第17世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。モスクワ大公の勤務公。
最後のスーズダリ大公と呼ばれることもあるが、それは名前だけ。すでにスーズダリ、ニージュニイ・ノーヴゴロド、ゴロデーツは、すべて1393年にモスクワ大公ヴァシーリイ1世によってモスクワ領に併合されていた。
1446年にドミートリイ・シェミャーカがヴァシーリイ2世に反抗し、モスクワ大公位を奪う。この時スーズダリ系一族では、年長系のヴァシーリイ & フョードルのユーリエヴィチ兄弟がドミートリイ・シェミャーカと同盟し、ニジェゴロド=スーズダリ大公領の復活を約束されている。これに対して年少系のイヴァン・ヴァシーリエヴィチはヴァシーリー2世を支持。
弟(?)ヴァシーリイ・グレビョーンカはノーヴゴロドの軍司令官としてモスクワ大公と徹底的に敵対したが、イヴァン・ヴァシーリエヴィチは逆に終生モスクワ大公に忠実に仕える。
1458年、ヴァシーリイ2世と協定を結ぶ。それにより、ニジェゴロド=スーズダリ大公位(の名目)をヴァシーリイ2世に譲渡。代わりにゴロデーツ等若干の領土を旧ニジェゴロド=スーズダリ大分領からもらう。
1458年、ヴャートカ遠征に派遣される。しかしこれは失敗に終わった。
添え名の «ゴルバートィイ» は「せむしの」という意味。
ゴルバートィー=シュイスキイ公家(1565年に断絶)の祖。