リューリク家人名録

イヴァン・ボリーソヴィチ «トゥゴーイ・ルーク»

Иван Борисович "Тугой Лук"

ニージュニイ・ノーヴゴロド大公 великий князь Нижегородский (1411-14)

生:1370
没:?

父:ニージュニイ・ノーヴゴロド大公ボリース・コンスタンティーノヴィチスーズダリ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ
母:アグリッピナ (リトアニア大公アルギルダス

結婚:?

子:?

第15世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。

 生年は不明だが、1370年としている文献がある。父の妻はリトアニア大公女アグリッピナしか考えられず、となれば両親の結婚は1353年だから、いかにイヴァン・ボリーソヴィチが次男とはいえ、生年が1370年というのは遅すぎる気がする。

 1392年、モスクワ大公ヴァシーリイ1世がトクタミシュからニージュニイ・ノーヴゴロドの領有を認められ、イヴァン・ボリーソヴィチは父ともども捕らえられた。

 1411年、兄ダニイール・ボリーソヴィチとともにニージュニイ・ノーヴゴロドを攻略。これを奪回した。
 1412年にはハーンよりニージュニイ・ノーヴゴロド支配の認可状をもらう。しかし、その直後に政変が起こったらしく、新しいハーンは改めてヴァシーリイ1世にニージュニイ・ノーヴゴロドの支配を認めた。
 その後もボリーソヴィチ兄弟はヴァシーリイ1世に抵抗し、ニージュニイ・ノーヴゴロドを護り抜く。しかし1414年、ついにモスクワ軍によってニージュニイ・ノーヴゴロドから追われた。

 その後は各地を転々として支援を求めたが得られず、ついに1417年、ボリーソヴィチ兄弟は自らモスクワに赴き、ヴァシーリイ1世と講和した。
 1418年から兄とともにニージュニイ・ノーヴゴロドに居住した。その直後に死んだらしい。

 添え名の «トゥゴーイ・ルーク» は「引き絞った弓」といった程度の意味。

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