フョードル・ユーリエヴィチ
Федор Юрьевич
シューヤ公 князь Шуйский
生:?
没:1476
父:シューヤ公ユーリイ・ヴァシーリエヴィチ (ニジェゴロド=スーズダリ大公ヴァシーリイ・ドミートリエヴィチ・キルデャーパ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ヴァシーリー |
第17世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。モスクワ大公の勤務公。
生年は不明。ヴァシーリイという兄弟がいたが、どちらが兄でどちらが弟かも不明。
1446年、ドミートリイ・シェミャーカがヴァシーリイ2世を追ってモスクワ大公となる。
ひとりでも多くの味方を確保したいドミートリイ・シェミャーカは、ユーリエヴィチ兄弟と協定を結ぶ。それによれば、ユーリエヴィチ兄弟は旧ニジェゴロド=スーズダリ大公領を返還され、あまつさえキプチャク・ハーンとの直接的関係を復活させること(即ちニジェゴロド=スーズダリ大公領の復活と独立)が認められた。と同時に、モスクワとの間の攻守同盟も取り決められた。
しかしその直後、ヴァシーリイ2世が復位。ユーリエヴィチ兄弟とドミートリイ・シェミャーカとの間の協定は反故となり、ユーリエヴィチ兄弟はモスクワ大公の勤務公となった。
1463/64年、プスコーフに派遣され、リヴォニア騎士団を撃破。市民に要請され、そのままプスコーフの代官としてとどまる。
1471/72年、どうやらプスコーフ市民と対立したようで、代官職を辞し、モスクワへ。