ドミートリー・コンスタンティーノヴィチ «ノーゴティ»
Дмитрий Константинович "Ноготь"
公 князь
生:?
没:?
父:スーズダリ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ (スーズダリ公ヴァシーリー・アンドレーエヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第14世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチの四男。
生年は不明。次兄(?)ドミートリー年長公が1322年の生まれとされているので、こちらのドミートリー(ここではドミートリー・ノーゴティと添え名付きで呼ぶ)の生年は1320年代の半ばから後半と考えていいだろう。
少なくとも確実な範囲では、兄の存命中に弟に同じ名が与えられた初めての例だろう。わずか100年前までは父子ですら名を同じくすることが忌避されていたことを考えると、300年以上続いてきた慣習がこの100年で急激に変化したことになる。ちなみに、のちに兄弟で同名というのは珍しくなくなる。
1355年に父が死去。1359年までのいずれかの時期に、スーズダリ公領は兄たちによって分割された。即ち、アンドレイがニージュニー・ノーヴゴロド、ドミートリー年長公がスーズダリ、ボリースがゴロデーツ。
ところがドミートリー・ノーゴティには分領が与えられなかった。理由は不明。あるいは生年がもっと遅くて(たとえばひとりだけ腹違いだったとか)、まだ幼かったのかもしれない。
分領を持たないドミートリー・ノーゴティはスーズダリに住んだ。同名のよしみで次兄と仲が良かったからか、あるいは単に古くからの中心都市だったからか。
なお、添え名の «ノーゴティ» は「爪」のこと。どういう意味で添え名として使われていたのかは知らない。
ノグテョーフ公家の祖。と言ってもはっきりしたところはよくわからない。ノクテョーフ公は16世紀に数人が名前を見せるだけで、系図はよくわからない。最後に言及されるのは1589年。