フョードル・フョードロヴィチ
Федор Федорович
ルジェーフ公 князь Ржевский
生:?
没:?
父:ルジェーフ公フョードル・コンスタンティーノヴィチ・メーニシー (フォミンスク公コンスタンティーン・グレーボヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | ||||||
1 | ロディオーン |
第15世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
1313年、ヴラディーミル大公にしてノーヴゴロド公でもあった、トヴェーリ公ミハイール・ヤロスラーヴィチがサライに召喚されると、かれと対立していたノーヴゴロド市民はモスクワ公ユーリー・ダニイーロヴィチを公に招く。
この時ユーリー・ダニイーロヴィチがノーヴゴロドに派遣したのがフョードル・フョードロヴィチであった。詳細は不明ながら、おそらくいつの頃からかモスクワ公に従属していたらしい。
フョードル・フョードロヴィチはノーヴゴロド軍を率いてトヴェーリ軍と戦う。
1315年にはユーリー・ダニイーロヴィチがサライに召喚される。フョードル・フョードロヴィチは、代理として残されたその弟アファナーシー・ダニイーロヴィチとともに、サライから帰還したミハイール・ヤロスラーヴィチと戦う。しかしノーヴゴロド市民はフョードル・フョードロヴィチをミハイール・ヤロスラーヴィチに売り、フョードル・フョードロヴィチはトヴェーリ軍の捕虜となった。分領ルジェーフは没収され、トヴェーリ領に併合された。
なお、そのためもあって、かれの子孫は公を名乗っていない。