聖アンドレイ・フョードロヴィチ
Св. Андрей Федорович
公 князь
生:?
没:1390
父:フョードル・コンスタンティーノヴィチ盲目公 (フォミンスク公コンスタンティーン・グレーボヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
フョードル |
第15世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
スモレンスク系は、系図を見てもらえば一目瞭然だが、第12世代のところで断絶した系統が多々あるものの、それ以外には常に増殖を続けていた。アンドレイ・フョードロヴィチの同世代にも、20人からの人間がひしめき合っていた。フォミンスク系だけで10人近くはいたものと思われる。当然フォミンスク公領をそれぞれが分割相続すれば、個々の取り分は狭小にすぎ、結果として領土を巡る一族間の争いが起こるのは必然であろう。
しかし当然このような身内同士の争いを厭う者もいる。中でもアンドレイ・フョードロヴィチは極端で、自らの領土を投げ出してスモレンスクを去ってしまった。
聖者伝によれば、アンドレイ・フョードロヴィチは特に行く当てがあったわけでもなかったが、やがてペレヤスラーヴリ=ザレスキーの聖ニコライ教会に落ち着く(ちなみにここは当時モスクワ領)。以後アンドレイ・フョードロヴィチは、この教会の保全・美化に生涯を捧げた。そしてスモレンスクを去って30年、誰にもその素性を知られることなくこの世を去っていったという。
聖アンドレイ・スモレンスキーに対する崇拝は早くに始まり、すでにイヴァン雷帝の時代にはモスクワでも一般化していたようだ。