アンドレイ・アファナーシエヴィチ
Андрей Афанасьевич
ヴャージマ公 князь Вяземский
生:?
没:?
父:ヴャージマ公アファナーシー・ヴァシーリエヴィチ (ヴャージマ公ヴァシーリー・アンドレーエヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | セミョーン | |||||
ヴァシーリー | ||||||
レフ | ||||||
イヴァン |
第15世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
アンドレイ・ミハイロヴィチとする文献もある。ミハイール・ロスティスラーヴィチの子、というつもりだろうか。
実際、ヴャーゼムスキー公家はミハイール・ロスティスラーヴィチの子孫である、とする説もあるらしい。その場合、このアンドレイこそヴャーゼムスキー公家の初代となった «アンドレイ長手公» だということになる。
1300・01年、スモレンスク大公アレクサンドル・グレーボヴィチがドロゴブージュを攻囲。アンドレイ・アファナーシエヴィチ(ミハイロヴィチ?)はドロゴブージュの救援に駆けつけ、アレクサンドル・グレーボヴィチを負傷させ、その息子を戦場に殺して、攻囲を終わらせた。