アファナーシー・イヴァーノヴィチ・ヴャーゼムスキー
Афанасий Иванович Вяземский
公 князь
生:?
没:1570
父:イヴァン・ミハイロヴィチ・ヴャーゼムスキー公 (ヴャージマ公ミハイール・イヴァーノヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第20世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。ロシア貴族。
ツァーリ・イヴァン4世雷帝の寵臣。イヴァン雷帝は主治医の処方した薬をアファナーシー・イヴァーノヴィチ公からしか受け取らなかったと言われる。
1560年のアダーシェフとシリヴェストルの失脚後、宮廷を牛耳る。
1565年、オプリーチニナ創設に深く関与。以後もマリュータ・スクラートフ=ベリスキーとともに、そのリーダーとして活躍した。
1570年、イヴァン雷帝はノーヴゴロドを破壊。同時に多数のボヤーリンや宮廷官僚を、ノーヴゴロドと通牒してツァーリ暗殺、リトアニアとの共謀、さらにはスターリツァ公ヴラディーミル・アンドレーエヴィチをツァーリにしようとした咎で逮捕する。そのひとりがアファナーシー・イヴァーノヴィチ公だった。
この失寵の原因は定かではないが、アファナーシー・イヴァーノヴィチ公は拷問の末死んだと言われる。