ノーヴゴロト=セーヴェルスキー系

スヴャトスラーヴィチの分家。オーリゴヴィチの一派。
 ノーヴゴロド=セーヴェルスキー公位が主にこの系統で継承されたのでこう呼んでいるが、少なくとも初期にはほかのオーリゴヴィチとあまり明確に区別できない。

 オーリゴヴィチの始祖オレーグ・スヴャトスラーヴィチ(7)の末男であったスヴャトスラーフ(8)が始祖。かれと、その子オレーグ(?)& イーゴリの兄弟(9)はノーヴゴロド=セーヴェルスキー公チェルニーゴフ公を歴任し、チェルニーゴフ系(オーリゴヴィチの本流)とオーリゴヴィチ一族の覇を競った。ちなみにこのイーゴリ・スヴャトスラーヴィチ(9)が『イーゴリ軍記』の主人公である。
 しかしその後は、ヴラディーミル・イーゴレヴィチ(10)がノーヴゴロド=セーヴェルスキー公となったかどうかも定かではなく、セーヴェルスキー系はチェルニーゴフ系の陰に隠れてしまう。あるいはそれもあってか、イーゴレヴィチ兄弟(10)はガーリチの領有を目指している。
 系統としては、ルィリスク系、プティーヴリ系、トルブチェフスク系、クールスク系などに分けることができる。あるいはこの中の誰かがノーヴゴロド=セーヴェルスキー公位に就いていたのかもしれないが、記録上は確認できない。
 モンゴル襲来後、チェルニーゴフ系は北東部に避難したが、セーヴェルスキー系については不明。旧来の分領にとどまったらしき者が散見され、クールスク公が一族の宗主権を握っていたとする文献もあるが、確かではない。そもそも血縁関係がはっきりせず、やがてかれらは歴史の表舞台から姿を消していく。おそらく一族は断絶したものと思われる。

 以下、スタイルシートで家系図を示す。環境次第では(正確に)表示されない。悪しからず。(正確に)表示されない場合は、こちらの画像を。
 赤枠はノーヴゴロド=セーヴェルスキー公・クールスク公。水色枠はルィリスク公。緑色枠はトルブチェフスク公。オレンジ枠はプティーヴリ公。

(8)
(9)
(10)
(11)
(12)
(13)
(14)
ヴァシーリー

▲ページのトップにもどる▲

最終更新日 03 05 2013

Copyright © Подгорный (Podgornyy). Все права защищены с 7 11 2008 г.

ロシア学事始
ロシアの君主
リューリク家
inserted by FC2 system