ポズヴィズド・ヴラディーミロヴィチ
Позвизд Владимирович
生:?
没:?
父:キエフ大公ヴラディーミル偉大公 (キエフ公スヴャトスラーフ・イーゴレヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第5世代。
ヴラディーミル偉大公の息子が列挙される中でしか言及されない、まったくの謎の人物。順番からすると最年少の息子のひとりということになるが、その真偽も含めて不明。
学者の中には、ヴラディーミル偉大公の息子ではなく甥だとする者もあるが、特段の根拠があるわけではない。その場合父親に擬され得るのはオレーグ・スヴャトスラーヴィチだが、もしオレーグ・スヴャトスラーヴィチの遺児だとすれば、その生年は977年以前ということになり、ヴラディーミル偉大公の子らの誰よりも年長ということになってしまう。
確実なことがあるとするならば、この名前が異教の神の名であること。通常は風の神だとされるが、非常にマイナーな存在で、そもそも古代スラヴの神々についてはあまり信頼できる文献史料が残っていないので間違っている可能性も否定はできない。いずれにせよ、神の名がそのまま使われている、リューリコヴィチでは希有な例ということになる。そして異教の神の名をそのまま負っているポズヴィズド・ヴラディーミロヴィチは、ヴラディーミル偉大公がキリスト教に改宗した988年(990年)以降の生まれでは絶対にあり得ない。
とすると、『原初年代記』の987年(988年)の記事に記されているルーシ分割の中にポズヴィズド・ヴラディーミロヴィチの名も挙がっていていい。それがないということは、あるいは幼少のうちに死んだということか。
ただし『グストィン年代記』は、ポズヴィズド・ヴラディーミロヴィチがヴォルィニを領有したとしている。しかしヴォルィニでは、すでにフセーヴォロド・ヴラディーミロヴィチがヴラディーミル=ヴォルィンスキーを領有したとされている。
なお、時々「ロズヴィズド Розвизд」と表記している史料を見かけることがあるが、これはおそらく間違い。