マリア・ドブロニェガ
Мария Добронега, Maria Dobroniega
公女 княжна
ポーランド王妃 księżna polska
生:?
没:1087
父:キエフ大公ヴラディーミル偉大公 (キエフ公スヴャトスラーフ・イーゴレヴィチ)
母:?
結婚:1043
& ポーランド王カジミェシュ1世再建王 1016-58
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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カジミェシュ再建王と | ||||||
1 | ボレスワフ2世 | 1042-81 | ポーランド王 | ヴィシェスラーヴァ | キエフ大公スヴャトスラーフ・ヤロスラーヴィチ | |
2 | ヴワディスワフ1世 | 1043-1102 | ポーランド王 | |||
3 | シュヴィエントスワヴァ | 1044-1126 | ヴラティスラフ2世 | ボヘミア王 | ||
4 | ミェシュコ | 1045-65 | ||||
5 | オット | 1047-48 |
第5世代。
母親は不明だが、父が1015年に死んだこと、マリア・ドブロニェガが1040年前後に結婚していること等を勘案すると、おそらくヴラディーミル偉大公の最後の妻(名前不明)であろうと推測される。
マリーヤ/マリアがキリスト教徒としての洗礼名、ドブロネーガ/ドブロニェガがスラヴ風の名であったことは明らかだが(リューリク家では14世紀頃までこのふたつを持つのが一般的だった)、いずれもポーランドの文献でしか確認できない。ルーシの文献では「ヤロスラーフ賢公の妹」としか記されておらず、そもそも両方とも彼女の名なのか、どちらか、あるいは双方がポーランドでつけられた名なのか、不明である。
1040年頃に、キエフ大公ヤロスラーフ賢公によりカジミェシュ再建王と結婚させられた。ただし、王妃としての事績はほとんど知られていない。
なお、厳密にはカジミェシュ再建王の肩書きは王ではなく公。