ヴァシーリー・コンスタンティーノヴィチ
Василий Константинович
ロストーフ公 князь Ростовский (1307-16)
生:1291
没:1316
父:ロストーフ公コンスタンティーン・ボリーソヴィチ (ロストーフ公ボリース・ヴァシリコヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | フョードル | 1311-31 | ウスレティンスキー | |||
2 | コンスタンティーン | 1312-65 | ボリソグレーブスキー | フェオドーシヤ | -1365 | モスクワ公イヴァン・カリター |
第14世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
父は1302年にサライに赴き、おそらくそのままロストーフに戻ることなく、1307年頃に死んだと思われる。兄アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチについてもよくわからないが、父より先に没していたと推定される。
年代記が大した情報を残してくれていないので推測でしかないが、父の死後、ヴァシーリー・コンスタンティーノヴィチがロストーフを相続したと考えてよかろう。なお、兄には遺児ユーリーがおり、これがウーグリチを継承したのだろう。
1316年、ヴァシーリー・コンスタンティーノヴィチはタタール軍とともにサライから到来。ロストーフに多大の被害をもたらしたという。
これだけでは何のことかよくわからないが、おそらく当時進行中だったトヴェーリ公ミハイール・ヤロスラーヴィチとモスクワ公ユーリー・ダニイーロヴィチとの争いに関係があるのだろう。
没年も不明。1316年以降であることは確かだろうが。