ピョートル・イヴァーノヴィチ・ブイノーソフ=ロストーフスキー
Петр Иванович Буйносов-Ростовский
公 князь
ボヤーリン боярин (1603-)
生:?
没:1607−ベールゴロド
父:イヴァン・イヴァーノヴィチ・ブイノーソフ=ロストーフスキー公 (イヴァン・アレクサンドロヴィチ・ブイノース公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
イヴァン | ||||||
エカテリーナ | -1626 | ヴァシーリー4世 | 1553-1612 | ツァーリ | ||
マリーヤ | イヴァン・ミハイロヴィチ・ヴォロトィンスキー公 | -1627 | ||||
ユーリー |
第22世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。ロシア貴族。
1570年代から各地に総督・軍司令官として派遣される。
1590年にはツァーリ・フョードル1世に従いスウェーデンに遠征。その後も、主に南方防衛を委ねられる。1598年にはボリース・ゴドゥノーフの下でクリム・タタール軍と戦う。
偽ドミートリー1世殺害後はヴァシーリー・シュイスキーに仕えたが、偽ピョートル(イヴァン雷帝の息子を自称)討伐に派遣され、プティーヴリの戦いで逆に捕虜となる。ベールゴロドに連行され、処刑された。