イヴァン・アンドレーエヴィチ
Иван Андреевич
ロストーフ(=ウスレティンスキー)公 князь Ростовский(-Усретинский) (1409-)
生:?
没:?
父:ロストーフ公アンドレイ・フョードロヴィチ (ロストーフ公フョードル・ヴァシーリエヴィチ)
母:アントニーナ (スーズダリ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ユーリー・ネモーイ | |||||
2 | フョードル・ゴーレニャ |
第17世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
父は1347年にスーズダリ公女と結婚したとされる。ほかに結婚の記録がないので、イヴァン・アンドレーエヴィチはこの結婚から生まれたのだろう。とすると、種々の状況から長男と思われるイヴァン・アンドレーエヴィチの生年は1350年前後と考えていいだろう。
1409年、父が死去。イヴァン・アンドレーエヴィチがロストーフ=ウスレティンスキー公となった。
当時ロストーフは、都市そのものが二分され、イヴァン・アンドレーエヴィチが領有するのはそのウスレティンスキー側だけであった。しかもモスクワ大公の影響力が大きく、代官が派遣されていた時期もある。
事情はよくわからないが、父が死んだ直後、イヴァン・アンドレーエヴィチはロストーフ=ウスレティンスキー公領をモスクワ大公ヴァシーリー1世に売却した。上記の推測が正しければ、イヴァン・アンドレーエヴィチもすでに60歳近く。人生の晩年にあって、またその分領も貧弱で、さらにすでにモスクワ大公に従属していたとあれば、いっそこれを売却して晩年を穏やかに過ごしたいとでも思ったのかもしれない。
イヴァン・アンドレーエヴィチのその後についてはわからない。