アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチ
Александр Константинович
ロストーフ(=ボリソグレーブスキー)公 князь Ростовский(-Борисоглебский) (1375-1404)
生:?
没:1404.06.09/19
父:ロストーフ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ (ロストーフ公ヴァシーリー・コンスタンティーノヴィチ)
母:マリーヤ (モスクワ公イヴァン1世・カリター)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | アンドレイ | |||||
2 | フョードル | |||||
3 | イヴァン | |||||
? | イヴァン |
第16世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
両親の結婚は1328年。おそらく兄が複数いただろうと想像される(うちイヴァンとグレーブは父と同時に黒死病で死んだと推定されている)。とするとアレクサンドル・コンスタンティーノヴィチの生年は1330年代後半というところだろう。
ヴァシーリーという兄がおり(時々落とされているが)、父の死後はヴァシーリーがロストーフ=ボリソグレーブスキーを継いだ。しかしヴァシーリーも子なくして1375年に死に、アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチが跡を継いだ。
ロストーフ諸公はすでにアレクサンドル・コンスタンティーノヴィチの生まれた頃からモスクワ公に事実上従属していた。アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチも、従兄弟のドミートリー・ドンスコーイの与党として行動。同じく従兄弟のロストーフ=ウスレティンスキー公アンドレイ・フョードロヴィチともども、1375年のトヴェーリ遠征、1380年のクリコーヴォの戦いに従軍している。