ロマーン・ヴャチェスラーヴィチ
Роман Вячеславич
ヴィテブスク公 князь Витебский (-1165)
生:?
没:?
父:ヴャチェスラーフ・ロスティスラーヴィチ (ロスティスラーフ・フセスラーヴィチ)?
母:?
結婚:?
子:?
出自不詳。ただしおそらくはポーロツク系。
ヴィテブスクは本来、スヴャトスラーフ・フセスラーヴィチ、ヴァシリコ・スヴャトスラーヴィチ、フセスラーフ・ヴァシリコヴィチと続く系統の «ヴォーッチナ(父祖の地)» である。そこを継いだロマーン・ヴャチェスラーヴィチは、しかしヴィテブスク系の出身とは考えられていない。そのかれがなぜそこを領有できたのかは不明。
フセスラーフ・ヴァシリコヴィチは1162年にポーロツク公となっているので、おそらくその際にロマーン・ヴャチェスラーヴィチはヴィテプスクを譲られたのであろう。
年代記によれば、1165年、スモレンスク公ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチによりヴィテプスクを奪われ、代わりにヴァシーレフ(ヴァシーリエフ)とクラースヌィーを与えられた。
年代記に登場するのはこれだけ。その他一切の情報は不明である。しかもこの際、父称すらも記されず、ただロマーンとだけしか言及されていない。
タティーシチェフはこのロマーンをロマーン・ヴャチェスラーヴィチと呼び、ロスティスラーフの孫としている。以来多くの学者がロスティスラーフ・フセスラーヴィチの孫と考えているようだ。だとすると第10世代。