ボリース・グレーボヴィチ
Борис Глебович
ドルツク公 князь Друцкий (1195)
生:?
没:?
父:ドルツク公グレーブ・ログヴォローディチ (ドルツク公ローグヴォロド・ボリーソヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第11世代。ポーロツク系(ドルツク系)。
記録に残る最後のドルツク公。
なお、父親に関しては、グレーブ・ログヴォローディチではなく、その弟(兄?)のフセスラーフ・ログヴォローディチだとする説もある。その場合、当然父称はグレーボヴィチではなくフセスラーヴィチ。もっとも、厳密に言えばこのボリースがローグヴォロド・ボリーソヴィチの孫であるかどうかも断言不能で、別の系統の出身者かもしれない。ドルツク公だったので、ドルツク系であろう、とするならば年代的にローグヴォロド・ボリーソヴィチの孫であろう、と考えられているにすぎない。
ただし、もしこのボリースがローグヴォロド・ボリーソヴィチの孫であり、またグレーブ・ログヴォローディチ(あるいはフセスラーフ)の生年に関する考察が正しいとするならば(グレーブ・ログヴォローディチの項参照)、ボリース・グレーボヴィチ(あるいはボリース・フセスラーヴィチ)の生年は1160年代後半以降ということになる。
父(伯父?)グレーブ・ログヴォローディチは1186年頃までは生きていたと考えられるので、ボリースはその頃跡を継いだのだろう。
ポーロツク公ボリース・ダヴィドヴィチと同一人物だと考える者もある。
後年、«ドルツキー» を名乗る一族がいたが、学者の中にはかれらはボリース・グレーボヴィチの子孫だと考える者もある。