ヤロスラーフ・ロマーノヴィチ
Ярослав Романович
プロンスク公 князь Пронский (1270-94)
リャザニ大公 великий князь Рязанский (1294-99)
生:?
没:1299
父:リャザニ大公ロマーン・オーリゴヴィチ (リャザニ公オレーグ・イングヴァーレヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | -1327 | リャザニ | |||
2 | ミハイール | プロンスク | ||||
? | アレクサンドル |
第14世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
1270年、父が死去。当時リャザニ系諸公はロマーノヴィチ兄弟しかいなかったため、おそらくリャザニはロマーノヴィチ兄弟によって分割されたのだろうと想像される。とすると、これまでも分領となっていたプロンスクを、次男と考えられるヤロスラーフ・ロマーノヴィチがもらったのだろう。
1294年、兄のフョードル・ロマーノヴィチが死去。ヤロスラーフ・ロマーノヴィチがリャザニ公位を継いだ。
この時プロンスクを弟コンスタンティーン・ロマーノヴィチに譲ったとされる。しかしそれまでコンスタンティーン・ロマーノヴィチはどこで何をしていたのだろう?