ユーリイ・ヴァシーリエヴィチ
Юрий Васильевич
ウーグリチ公 князь Углицкий (1533-64)
生:1532.10.30
没:1564.11.25 (享年32)
父:モスクワ大公ヴァシーリイ3世・イヴァーノヴィチ (モスクワ大公イヴァン3世大帝)
母:エレーナ (ヴァシーリイ・リヴォーヴィチ・グリンスキイ)
結婚:1547
& ウリヤーナ公女 -1569 (ドミートリイ・フョードロヴィチ・パレツキイ公)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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ウリヤーナ・ドミートリエヴナと | ||||||
1 | ヴァシーリー | 1559-60 |
第20世代。モノマーシチ(モスクワ系)。ヴァシーリイ3世の次子(次男)で、イヴァン雷帝の弟。
1533年、父の死で、その遺言により、ウーグリチ、モローガ、ベジェツキイ・ヴェルフ、カルーガ、マロヤロスラーヴェツなどを分領として相続した。
1546年にはノーヴゴロドとプスコーフに、兄とともに赴いている。1550年にはカザン遠征に従軍した。しかしユーリイ・ヴァシーリエヴィチは、甥のフョードル1世と同じように、精神的に虚弱だったらしい。分領の経営は、妻の一族パレツキー公家の人間がみた。
このため、1553年に兄が重病に陥った時には、ユーリイ・ヴァシーリエヴィチを後継者に推す声がどこからも挙がらなかった。パレツキイ公家も、ユーリイ・ヴァシーリエヴィチとその妻の分領に対する保証を条件に、スターリツァ公ヴラディーミル・アンドレーエヴィチを支持している。
没年は1563年とされることもある。
クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に埋葬されている。