ヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチ
Василий Владимирович
ペレムィシュリ公 князь Перемышльский (1414-27)
セールプホフ公・ボーロフスク公 князь Серпуховский и Боровский (1426-27)
生:1394.06.09
没:1427
父:セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公 (セールプホフ公アンドレイ・イヴァーノヴィチ)
母:エレナ (リトアニア大公アルギルダス)
結婚:
& ユリアーニヤ
子:?
第16世代。モノマーシチ(モスクワ系)。
一般的にヴラディーミロヴィチ兄弟の末弟とされる。
1410年に父が死去。遺領はヴラディーミロヴィチ兄弟によって分割されたが、なぜか多くの文献がヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチのペレムィシュリ公位開始を1410年ではなく1414年としている。末弟でまだ幼かったからだろうか。もっとも、文献によっては1410年にウーグリチを相続したとするものもある。確かに、1410年以降のウーグリチの行方が不明。
1414年、兄アンドレイ・ヴラディーミロヴィチとともに、ガーリチ=メールスキイ公ユーリイ・ドミートリエヴィチのニージュニー・ノーヴゴロド遠征に従軍。
1423年頃、北東ルーシを疫病(ペスト)が襲う。最初に被害に遭ったのが長兄イヴァンであった。1425年にはモスクワ大公ヴァシーリイ1世が、1425年から26年にかけてイヴァン・ミハイロヴィチ、アレクサンドル・イヴァーノヴィチ、ユーリイ・アレクサンドロヴィチと、祖父、子、孫の3代のトヴェーリ大公が命を落とした。1426年にはセミョーン、ヤロスラーフ、アンドレイと3人の兄たちが相次いで落命。
兄たちの死で、父の遺領はすべてヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチの手中に収まった(ヤロスラーフには遺児がいたが)。しかしそれもつかの間、1427年、ついにヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチも疫病に倒れた。
クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に葬られる。