ヴァシーリイ・ミハイロヴィチ
Василий Михайлович "Удалой"
ヴェレヤー公 князь Верейский
生:?
没:?
父:ヴェレヤー公ミハイール・アンドレーエヴィチ (モジャイスク公アンドレイ・ドミートリエヴィチ)
母:エレーナ公女 (マロヤロスラーヴェツ公ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチ)?
結婚:マリーヤ
子:?
第18世代。モノマーシチ(モスクワ系)。
生年は不明。父の生年も不明だが、母がエレーナ・ヤロスラーヴナであるとすると、伯母(? 叔母?)にあたるマリーヤ・ヤロスラーヴナが1418年の生まれとされるので、ヴァシーリイ・ミハイロヴィチはイヴァン3世の従兄弟ということになるので、やはり1440年前後の生まれということになるだろうか。
1463年、イヴァン3世が即位。あるいはそれもあったのか、まだ存命中だった父に代わって、ヴァシーリイ・ミハイロヴィチの活躍がこれ以降目立ってくる。やはりヴァシーリイ・ミハイロヴィチはイヴァン3世の従兄弟だったのだろう。イヴァン3世の側近として、1469年にカザン、1471年にノーヴゴロドに遠征するなど、モスクワ軍の司令官として活躍した。
1483年、ふとしたことでイヴァン3世とケンカ。イヴァン3世の最初の妃マリーヤ・トヴェルスカーヤからの贈り物を、イヴァン3世が没収しようとして、ヴァシーリイ・ミハイロヴィチの怒りを買ったものである。
これについては、興味深い話が伝えられている。それによると、この年、ヴァシーリイ・ミハイロヴィチは大公妃ソフィヤ・パレオローグの姪マリーヤと結婚。これに際して、ソフィヤ・パレオローグがマリーヤにネックレスを贈ったが、このネックレスはマリーヤ・トヴェルスカーヤの遺品であった。ソフィヤ・パレオローグが、自分の所有物でもないものをひとに贈るというのもおかしな気がするが、当然イヴァン3世は激怒。ヴァシーリイ・ミハイロヴィチとその妻マリーヤを追放したのだという。ちなみに、マリーヤがソフィヤ・パレオローグの姪であったとして、その親はよくわからない。
ヴァシーリイ・ミハイロヴィチはリトアニアに逃亡し、以後リトアニア貴族として活動した。
1493年と95年の2度にわたってイヴァン3世から帰国を許され、特に1495年にはイヴァン3世から直々に帰国を促されるが、肯んじなかった。よほど腹に据えかねたのか、あるいは «ウダローイ» とあだ名されるだけに怒りっぽかったのかもしれない。
いずれにせよ、これによりヴェレヤーは大公領に併合された。
父は1486年に死去。ヴァシーリイ・ミハイロヴィチのその後については不明である。