アンドレイ・イヴァーノヴィチ
Андрей Иванович
セールプホフ公・ボーロフスク公 князь Серпуховский и Боровский (1341-53)
生:1327.06/07.04
没:1353.06.06 (享年26)
父:モスクワ公イヴァン1世・カリター (モスクワ公ダニイール・アレクサンドロヴィチ)
母:?
結婚①:
& ユリアーナ公女 (ガーリチ=メールスキイ公イヴァン・フョードロヴィチ)
結婚②:
& マリーヤ公女 -1390 (ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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マリーヤ・コンスタンティーノヴナと | ||||||
1 | イヴァン | 1349-58 | セールプホフ | |||
2 | ヴラディーミル | 1353-1410 | セールプホフ | エレーナ | -1437 | リトアニア大公アルギルダス |
第14世代。モノマーシチ(モスクワ系)。イヴァン・カリターの三男。
1341年、父の死でセールプホフとボーロフスクを分領としてもらった。もっともボーロフスクは1358年、次兄イヴァン赤公の遺言状が記録上の初出。イヴァン赤公がリャザニから奪った都市だとされていて、とすれば1341年にアンドレイ・イヴァーノヴィチの分領になっているはずはない。
黒死病で死去(直前には長兄セミョーン傲慢公も黒死病で死んでいる)。アルハンゲリスキイ大聖堂に葬られている。