スヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチ
Святослав Владимирович
スモレンスク公 князь Смоленский (-1113)
ペレヤスラーヴリ公 князь Переяславский (1113-14)
生:1080頃
没:1114.03.16
父:キエフ大公ヴラディーミル・モノマーフ (キエフ大公フセーヴォロト・ヤロスラーヴィチ)
母:ギータ (イングランド王ハロルド2世)
結婚:?
子:?
第8世代。モノマーシチ。ヴラディーミル・モノマーフの三男。
イパーティー年代記によれば、ペレヤスラーヴリ公とされる前はスモレンスク公だったらしい。スモレンスク公と言えばダヴィト・スヴャトスラーヴィチが1097年までスモレンスク公であった。その後スヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチがスモレンスク公となったのだろうか。
1113年、父がキエフ大公になると同時にペレヤスラーヴリを与えられる。イパーティー年代記は同年中に弟ヤロポルク・ヴラディーミロヴィチに替えられたとしているが、翌1114年の死亡記事ではあたかもまだペレヤスラーヴリ公であるかのようである。おそらくスヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチの死後ヤロポルク・ヴラディーミロヴィチがペレヤスラーヴリ公になったのだろう。あるいは、1113年にスヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチが発病し、そのためヤロポルク・ヴラディーミロヴィチが代わりにペレヤスラーヴリ公とされたのかもしれない(年代記はスヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチの死因については黙している)。