ロスティスラーフ・フセヴォローディチ
Ростислав Всеволодич
ペレヤスラーヴリ公 князь Переяславский (1078-94)
生:1070
没:1093
父:キエフ大公フセーヴォロド・ヤロスラーヴィチ (キエフ大公ヤロスラーフ賢公)
母:アンナ (ポーロヴェツ人のハーン)
結婚:?
子:?
第7世代。ヴラディーミル・モノマーフの弟。
1078年、伯父イジャスラーフ・ヤロスラーヴィチの死で父がキエフ大公に就任。ロスティスラーフ・フセヴォローディチはまだ幼年だったにもかかわらず、ペレヤスラーヴリを与えられた。
ペレヤスラーヴリ公になったと言っても、おそらく代官がこれを支配したのだろう。ペレヤスラーヴリはステップに面して対ポーロヴェツ戦線の最前線に位置していたが、兄の数度にわたる対ポーロヴェツ遠征にもロスティスラーフ・フセヴォローディチが従軍したとの記録はない。
1093年、父が死去。従兄弟のスヴャトポルク・イジャスラーヴィチが跡を継いだ。
この年、スヴャトポルク・イジャスラーヴィチと兄ヴラディーミル・モノマーフが対ポーロヴェツ遠征を計画。ロスティスラーフ・フセヴォローディチもこれに従軍したが、敗北し、逃亡途上にストゥグナ河で溺死した。
この時兄が助けようとしたが、自らも溺れそうになって断念。スヴャトポルク・イジャスラーヴィチの従者が遺骸を引き上げ、キエフに運んだ。聖ソフィア大聖堂の父の隣に埋葬された。